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ICT化の波
ルワンダの最近のユニークな光景といえば、東西南北、国の至るところで光ケーブルを敷設していることだ。
光ケーブル敷設
もう何か月も前からだけれども、主要道路沿いでの工事が続いている。はじめは、キガリ市内だけで見られていたが次第に、どこでも見られるようになった。
光ケーブル敷設に関わる労働者
光ケーブル敷設に関わる労働者2
国を挙げての試み。これで何を目指しているかだが、政府の目標によれば、キガリ市と30あるディストリクト(市のような位置づけ)
すべてにおいて、高速光ファイバーネットワークを配備する予定になっている。2,300kmにわたる光ケーブルはキガリ市のネットワークの延長上となり、キガリ市にある97の政府組織と学校、病院、税関事務所、移民や国境サービス、派出所、大学、民間組織などを含むディストリクトと226の政府組織にネットワークがつながることになるそうだ。
今年中には、国がブロードバンド普及を加速させ、電子政府、電子商取引、電子ツーリズム、電子教育、電子福祉、電子農業、ビデオ会議、電子市場などをスタートさせたいようだ。
それにしても、キガリ市以外の農村地域や国立公園周辺などでのこうした敷設工事をみているとこの光ケーブルの導入によってどれだけの人々に直接的な恩恵、便益があるのか、なかなか見えてこない。
もちろん、公共施設や政府から変えていくというのはよくわかるのだが、今だ、農村地域は、電気も通っていないところがほとんどだし、テレビもない。パソコンは、農村地域にいたっては、市のオフィスに少々あるぐらいだ。
そうした現状を見ると、この光ケーブルの導入によって描く国の姿やサービスの変化が、あまりにもギャップがありすぎで現実的に思えないのだ。
しかし、ルワンダは、東アフリカのICTの拠点になろうとしているので、政府もかなり熱心にこの関連のインフラ整備を進めているようだ。

教育に関しても、「子供1人1台ラップトップパソコン:One Laptop per Child (OLPC)」というイニシアティブのもとにモデル校の小学校で導入が始まった。
もともとは、2005年の1月にMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボが 世界の子供たちへの教育の仕方を革新的に変える100ドルラップトップを開発するためのリサーチイニシアティブを立ち上げたことから始まった。現在、非政府組織がこのイニシアティブを推進している。このプロジェクトの目的は、開発国の中でも最も貧しい子供たちにラップトップを提供することだそうだ。ルワンダは、このプロジェクトのモデル国として選ばれた。

金融関係では、一部の銀行でSMSやインターネットバンキングによる口座内容照会サービスなどが始まっているが、これがいまいち信用ができない。夫も私も経験があるのだが、まったく関係のない他人の口座の残高照会や取引照会がSMSで届いたことがあり驚いた。いったいどんなシステムでそうした間違った情報が送られるのか不思議だったが、口座情報など個人情報に関わるものの送り先を間違えるというのはあまりも根本的な間違いで銀行のシステムの脆弱さ・未熟さを思い知らされたところだ。

思い描いている高度なICT社会へ向けて整備を急ピッチに進めてはいても、その中で生活し、働く人たちの認識のレベルが追いついていないというのが現実のようだ。
こうした認識のギャップを埋めるのに肝心なのは「教育」や「啓発」なのだろうが、国がこれから目指そうとしている社会の姿についてきちんと市民が理解をし、望む方向に向かっていけるよう、政府をはじめ、関連するセクターの人々の努力が求められるところだろう。
| Rwanda (日常生活) | 00:05 | - | - |
ルワンダにおける結婚
ルワンダでよく週末に見かける光景といえば、結婚式。キガリ市内のあるランドアバウトは、その結婚式を挙げたカップルが記念写真を撮るところとして知られている。
round about wedding
ルワンダの結婚について、最近、結婚を迎えようとする同僚や農業技術者などに聞いてみたところある程度の情報が得られたのでちょっとまとめてみる。

結婚は、法律上21歳以上の男女ができる。
よく見受けられるのが、男性が10歳以上年上で女性が非常に若いというケース。男性は、30歳以上で結婚するケースが多い。それには、下記に書くように男性が結婚の申込にそれなりのお金を必要とすることが考えられる。
都市部では、少し変化が見られ、教育レベルが高い人たちの間で、若干男女の年の差が少ないケースも見受けられるが、少なくとも5歳程度離れているのが多いようだ。女性の平均出産人数が5-6人ぐらいとあるので女性が若い理由が納得できる。
しかし、男性でも収入が高いわけではないので、基本的には男女とも働くことが前提となる。しかも、女性は、伝統的には、家事をすべて行わなければならないので、日中働くとなると大変重い負担になることになる。
ある程度の収入があると、家事をhouseboyといわれる若者に任せて料理や洗濯をやってもらうケースが多くなる。女性が家事の負担を減らすために人を雇うのではなく、便利な道具が開発され、それを利用して家事負担を減らそうとする日本とは異なった考え方である。どちらかといえば、植民地時代の影響が残っているからなのだろうか。いわゆるお金持ち層になると、子育てから何からすべての家事を他の人の手にまかせ、料理などを自らやることはほとんどなくなるようだ。それってどうなんだろう?と私たちの感覚からすると疑問だが、こちらではそれが普通なのである。


通常は、公式?な結婚のプロセスは、以下のようなもの。
1. 紹介・承認(結納のようなもの)
ここでは、結婚を申し込もうとする男性が女性の家庭に赴き、両親や親せきの前で結婚の申込をするとともに両親に送りものをしなければならない。通常は、牛を贈呈するそうだ。ルワンダ産のものだと200,000Frw($350)ぐらいに相当するそうだが、これを最低1頭分。東州になるとこれを5頭ぐらい贈呈するケースもあるそうだ。最近は、ミルクがよく出る輸入牛、500,000frw($900)を1頭贈呈して済ます方法が人気となっているらしい。東州は特に牧場持ちが多いからなのだが、ルワンダの所得水準からすると決して安いものではない。
しかし、土地がある家ならまだしもキガリ市など土地のない都市部はどうなるのか?キガリ市内では、この贈呈が合理的な形に変わって行われているようだ。牛1頭贈呈する分を小切手に換えて渡すというが最近の傾向らしい。一方、西州や南州など貧しい地域になると、牛1頭の贈呈は、大変な負担で現実的ではなく貧困層の家庭では、牛ではなく鍬、1500frw(250frw)を贈呈して済ますところもあるそうだ。

2. 結婚式・登録
両親への紹介・申込が済んだあとは、結婚式を迎えるまでの準備に入る。結婚式を迎えるまでは、結婚する予定の男女は一緒には暮らさないというのが通例のようだ。都市部にいるカップルが週末に相手の家に遊びに行ったりするケースも少しずつ出てきているようだが、これは、ルワンダ国外で過ごしてきた人たちのケースかもしれない。
結婚式が済むと結婚した男女は、地元のセクター(町レベルにあたる)に登録をするそうだ。
キリスト教が多いルワンダでは、教会で式を行うケースが圧倒的に多い。しかもその式がとても長いのだ。一度私たちも参加したことがあるが、事前に式が3時間もかかるので、最初から行かない方がいいというアドバイスを受け、途中からいったが、それでも1時間半以上かかった。
Rwanda wedding1
賛美歌が本格的で聖歌隊の演出は、素晴らしいなと思ったが、それぞれの儀式が長いのだ。途中、参加者が新郎新婦に金銭を贈呈する。(特定の場所にそれらを置く)という流れがあり、その流れが終わるのにもそれなりの時間がとられる。最後には、参加者同士が握手をして式典を祝い、新郎新婦が会場を出る。新婦と一緒に小さな子どもたちがエンジェル風の白のドレスを着て歩いているのがなんともいえずかわいらしい。
Rwanda wedding2
Rwanda wedding3
参加者が着てくるルワンダの伝統的なドレス:mishinanaが個性があり美しいものだ。
Rwanda wedding4
Rwanda wedding5
そして教会で式を挙げた後、宴会の席に移るのは、日本と似ているが、ルワンダ人はお酒を飲まない人が多いので、ファンタやコーラーで乾杯するのが多い。
そして多くのキガリ市内で結婚式を挙げた人がなぜだかランドアバウトの像が立つところで写真を撮るというのが恒例のようだ。土日になるとランドアバウトはたくさんのカップルであふれかえっている。これは、結婚式の一例でかつ都市部での結婚式なので、華やかなものの方だが、農村部での式はもっと簡素なものだ。

3. 離婚
離婚はもちろんケースとしては少ないが、可能で、この場合には、裁判所に行って、お互いが問題を話し合い、土地などがあれば、分割する。離婚費用として、60,000frw($100)払わなければならないそうだ。セクターに行って登録も変更しなければならない。


私たちのところで雇っている農業技術者から結婚相手の女性を選ぶのにどんな観点が必要かなどとの質問を受けて私たちなりの考え方を示したが、こうした観点というのも国や文化が違うので正しいものでもないし、時代とともに変わっていくものだろう。
ルワンダも、間違いなくグローバル社会の中での西欧的な考え方に影響を受けることだろうし、結婚観や相手に求めるものも変わってくるように感じた。
私たちだって、親の世代と私たちの世代では結婚のスタイルが全く変わってしまったのだから、ルワンダで、結婚のスタイルが変わってくるのも時間の問題という感じがした。
ただ、西洋的な結婚スタイルと全く同じようになってしまうのは残念な気がするので、独自の部分が残っていることを願いたいと思う。


| Rwanda (日常生活) | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
番組取材を通じて出会った人たち:DVDを持って再訪!
昨年の5月からテレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」の現地での取材・コーディネーション請け負うことになり、環境ドキュメンタリー番組の制作のサポートに初めて携わった。様々な取材を経て、2月の末から3月の上旬の約2週間で日本から撮影スタッフが来られ、現地での撮影を行った。

主たるテーマは、「携帯電話のルワンダでの意外な利用法」この中で紹介された1つの仕組みがVillage phone。ヴィレッジフォンとは、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユニス氏の開発したマイクロファイナンスの仕組みを世界に広げるため設立されたグラミン財団とMTNというアフリカの大手電話会社が協力してできたサービス。コミュニケーションの手段がなく、電気も通ってない地域において、簡易型のアンテナの敷設や充電するためのカーバッテリーがセットになって地域の中心となるところに携帯電話を置くステーションを設置し、携帯電話を通常の携帯電話より割安の価格で利用でき、40%長く話せるサービスを提供する仕組み。
Village phone
antenna
これを運営するオペレータといわれる人たちは、携帯電話をマイクロファイナンス銀行からローン契約をして購入し、6か月間で返金していく。オペレーターになった人たちは、通常小さな雑貨屋さんをやっていることが多く、電話の貸し出しサービスと併用することで売上が向上し、収入増により、彼らの生活の向上につながり、子供を学校へ行かせられるようになったり、保険に入ることができるようになる。
womens operator
雑貨屋とvillage phone
また、Village phoneは、それを利用する人たちにとっても大変にメリットがあるものだ。両親や子供など身近な人に電話をかけるのはもちろんのこと、ビジネス目的の利用(農産物の売り先を探したり、購入したい商品価格の下調べ、顧客への連絡など)や地域での会合の連絡、緊急の連絡(妊婦や病人の緊急の搬送依頼など)にも利用され、コミュニティーのつながりが強化されたとの声も多く聞かれた。
特に町から離れたところに住む人たちは、今まで1日かけて歩いたり、現地まで公共交通機関を利用して要を足していたのが携帯電話の導入により時間とエネルギーを節約し、目覚ましく効率的になったのである。国境に近いところでは、ウガンダなど近隣の国からもわざわざヴィレッジフォンを利用しにくる人がいるぐらいだった。
生まれた頃から電話が家庭に1台あった私たち日本人にとってはピンとこないかもしれないことかもしれないが、こうした電話を利用したことがない人にとっては画期的な変化を地域にもたらしたのである。

番組では、こうしたヴィレッジフォンの仕組みの紹介とこうして導入されたヴィレッジフォンの利用事例の中で顕著な成功事例を、ラジオ公募をして集めた中から事前に選び、選んだものを実際に訪れて撮影し紹介した。テレビはまだまだ一般家庭には普及していないこともあり、農村地域で使われるビレッジフォンの事例を集めるには、ラジオが一番。実際2日に分けて流したラジオ放送で、非常な反響があった。流したとたんに電話が山ほどかかってきた。多くのルワンダ人がどれだけラジオに頼って情報を得ているかがわかる。ジェノサイドを扇動したのもラジオの影響だったといわれているだけあって、ラジオから得られる情報がどれだけ国民の行動へ影響を与えるかが押し測れる。
こうして公募をするとマイクロファイナンスなどを通じて間接的に紹介してもらうよりはるかに効果的に集められた。中でも感心したのが、この電話をオペレータとしてサービスを提供している孤児の青年が兄弟や一緒に住んでいる孤児を助けるための募金をヴィレッジフォンを使って呼びかけたケース。若い青年ながらも、頼もしいユニークな事例だった。
with Abdu
またこの携帯を使って、オペレーターがキガリに親戚がいる利用者から頼まれて携帯にairtimeというクレジットを転送することでそれを現金に換えて、利用者に届けるといった送金サービスを展開したケースも興味深いものだった。

ヴィレッジフォンのようにコミュニティーの公共通信手段やビジネス取引の手段として貧困削減に役立てられるだけでなく、携帯電話が、ゴリラなど国立公園での野生生物の保護にも役立てられている。
scenary of national park
番組では、元密漁者にスポットをあて、どのようにして密漁活動から転向して保護活動に携わるようになったか、携帯電話をパトロールなどの場でどのように保護活動に役立てているのかを明らかにした。
この元密漁者の住むコミュニティーに訪れ、住民に元密漁者のリーダーが住民たちに国立公園の保護活動やゴリラを守る活動の重要性を説明する場面を撮影するとともに、日本で撮影された日本の若者の携帯電話の利用法や携帯電話の廃棄、リサイクル事情についての映像を流して住民に見せた。
とにかくほとんどの住民が携帯電話をもっていないので、日本で起こっていることの全てが違いすぎて驚くことばかり。特に携帯電話が大量に廃棄されている映像などは、いったい何が起こっているのかわからないという感じだった。消費行動が日本とルワンダでどれだけ違うかに改めて気付かされた。

こうして現地撮影後、編集放送された番組のコピーを放送1か月後に受け取りそのコピーをもって番組に協力してくれた人たちの元へ届けてお礼の挨拶をするとともにDVDを見せて回った。
取材に訪れてから2か月余りたってからの訪問だったが、ほとんどのところでは撮影前から調査をしに来ていたので私をよく覚えていてくれて歓迎された。
Visiting Joel's place
with operator
特にうれしかったのは、元密漁者のコミュニティーに再訪して、撮影に協力してくれた地域の住民も集めて日本で最終的に放送された番組を見せたところ、言葉は現地の人にあまり理解されなかったかもしれないが、時には自分たちの写っている映像をみて、大変喜んでいる様子がうかがえた。上映の調整に夢中になって写真に収めるのを忘れてしまったが。。。
終わった後、上映会の準備を手伝ってくれた人が、こう話してくれた。「今回、初めて撮影されたものを見たけど、本当にうれしかったよ。普通は、撮影されたものを見られることがないから、とられても何のためにとっているのか、どうなったのかってわからないままなんだ。こうして撮影されたものを見れることによって、今後、こうした撮影を行う時に住民に協力を得るいいインセンティブになるよ。」
そうなんだ。私は、撮影された人たちは、当然できた番組をみたいだろうと思って、自ら足を運び協力してくれた人に見せて回ったが、こういうことをするのは例外なのか、、、と感じた。でも訪問したことでみんなが出来たものを確認でき、家族や近所の人などと「あら映っている」などといいながら楽しんでもらえたのは私も見せて回ったかいがあったなと思えた部分である。前述したように今回取材に協力してくれた人たちは、テレビを見たことがない人ばかりなので、こうして映っている映像を見ること自体が新鮮な驚きなのである。
テレビ番組の制作づくりに携わることによって得た人里離れた地域での人々との出会いそして新しい交友関係が続きそうで嬉しい。出会った人たちの今後の発展、成長も追っていきたい。
| Rwanda (環境活動) | 16:22 | - | - |
Burundi にやってきた!
初めて車で国境を超えた。ルワンダの東南に国境を接する国Burundiを訪れた。行き方は2通りあり、ルワンダ南東部のButareから行くルートと、ルワンダ東部のBugeseraから行くルートがあり、行きは、Bugeseraルートから国境を超えることにした。Kigaliから1時間余りで着く国境は、最近リニューアルしたばかりのようで、入国手続きのオフィスの建物がこぎれいだった。
短期滞在の場合は20ドル払えば、国境を越えられる。
手続きに30分弱かかったあと、国境を抜けてさっそくブルンディに入って走る。
掘っ立て小屋
すぐ目に留まったのが、藁ぶき屋根の家。ルワンダではもうほとんど見られない旧式の家がまだまだある。(ルワンダでは、庶民の家は、トタン屋根のところが多い。)
ぱっと見た感じブルンディの方がさらに貧しいのかなという印象を受けた。
炭
途中、炭が袋詰めになったものがかなり道路沿いで売られていた。さらにルワンダでは見たことがない風景としてウサギが道路沿いで売られていること。生きたウサギが何匹も少々高台の小さな小屋に入れられて見世物のように売られている。
ルワンダに近いところは、丘陵地帯が広がり、ルワンダと似たような風景が広がっている。またルワンダとまたがっている国立公園は、太古の森が残っているので、すぐに他と見え分けがつく。
国境を越えてからが長い道のりだった。5時間半近く走っただろうか。bujumburaを示す標識がなかったので、街中の人々に聞きながら、若干道に迷いながら走り続けた。
首都のブジュンブラに近づけば近づくほど非常に暑く、日差しが強くなり日射病気味になった。
ブジュンブラ街中
ブジュンブラの街中は、キガリと比べると新興住宅地が建てられているところ以外はまだ開発はこれからといった感じがする。
この木なんの木
しかし、キガリは、街中に植えられている木がすべて近年植えられたものばかりだが、ブジュンブラは、樹齢の長そうな木々が植民地時代の面影を残した邸宅が並ぶ通りに沿ってところどころ緑豊かに並んでいる。街中のランドアバウトの一つに立っている木は、この木なんの木〜のCMに出てくる木にそっくりだ。
キガリと明らかに違うのは、国連機関などの国際協力機関の建物がみなものものしく高い塀に囲まれた中にあって、中がほとんど伺えないことだ。
ものものしい囲い1
ものものしい囲い2
最近まで内戦があったことによるものだろうか、これをみるとかつての治安の悪さが伺える。

さて、ブジュンブラからタンガニア湖に向かう。初日は、晴れていたので、かなり湖沿いは暑かったが、背後に見えるコンゴの山が湖の風景に奥行きを加えて素晴らしかった。
タンガニカ湖1
特に2日目にブジュンブラの外に出て、パーム農園の抽出現場を視察に行ったあとの帰り、タンガニカ湖にかかる帯のようにかかる雲が景色に躍動感を与え、なんとも言えない美しさだった。
タンガニカ湖2
タンガニカ湖3
タンガニカ湖の夜景
またブジュンブラで期待していたのは魚である。タンガニカ湖からとれる魚は、キブ湖とは違ったものがあり、おいしいと聞いていたからである。
実際2日にわたって、いくつか試してみたが、確かにおいしかった。ムケケの塩焼きが特に楽しめた。

キガリと特に違う点は、物価の値段が安いこと。キガリの1/2といったところか。ルワンダは、輸送コストがかなりかかること、税金がかなりしっかり徴収されており、これも物価を上げる原因になっているようだが、ブルンジでは、どうもそうでもなさそうだ。
魚だけでなく、野菜や果物の種類もルワンダよりやや多く、新鮮だった。これからさらに治安が改善し、国が安定してくれば、タンガニカ湖を売りにしたツーリズムが期待できそうだ。






| Rwanda (旅行) | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
4月7日:ジェノサイドの傷跡
4月7日はジェノサイドの追悼日のためオフィスやお店は休みとなる。この日は全国各地の地域のレベルで式典や集会があり、国民が参加する。
15年前のこの日、私たちが想像できないような惨事ジェノサイド(大量虐殺)が始まったのである。
あっという間に1年が経ってしまったように思うが、またこの日がやってきた。そしてこの日が近づくと家族や親せきを失った人たちは、悲愴感がただよい、このあと100日あまり続いた恐怖の日々を思い出し、辛い日々がよみがえってくるのだ。15年たってもこうした日々を忘れることはできない。愛する夫を失った女性、両親を失った子供たち、兄弟、姉妹を殺された人々、この国にはそうした人たちがまだ心に深い傷を負いながら生活をしている。この時期になるとトラウマがよみがえり、病院に駆け込んだりする人も少なからずいるようだ。
15年たった今もまだ市民裁判、ガチャチャ裁判が各地で継続して行われている。政府が最近発表した統計データによれば、2003年から2008年の間に160人近くの証人、目撃者、残存者が殺されているようだ。
こうしたデータを見ると、加害者と被害者との和解はそう簡単ではないことが見えてくる。両者が一緒の住宅地に住み、新しいコミュニティーをつくろうとする試みもあるが、すべての地域で同じようにできるとは限らない。むしろ、なんらかの共同作業を通じて痛みを分かち合い、少しずつ和解のプロセスに至るケースもあるようだ。
Agaseke
例えば、ルワンダの伝統的なバスケット、アガセチェは、主として女性によって作られているが、1994年のルワンダのジェノサイドの後、女性たちは、異なるグループの人たちと会った時、編み物を通じて女性として彼らの問題について共有したり、話し合ったりしたようだ。ジェノサイドで夫を失ったツチの女性と夫がジェノサイド中に犯した罪のために牢獄に入れられて夫を失ったフツの女性たちは、お互いに多くの共通の問題を抱えていることに気付く。中でも大きかったのは、家庭の大黒柱の男性を失った結果として極度の貧困状態に陥ったことだったそうだ。
こうしてバスケットの編み物が、女性たちが集まるきっかけとなり、双方のグループ出身の女性たちが一緒に働くようになったことから平和と統合を促進する道具として認識され、これが、アガセチェ平和バスケットとも呼ばれるようになっている。

この日を迎える前日、運転手として雇っている男性が夕方、私のオフィスからの帰りの運転中に翌日どうするかの話をした時に、彼が地元の地域で行われる集会に参加するといったあと、「ジェノサイド、Never Again」といって目に涙を浮かべた表情を見せた。普段、彼は、さわかやで優しい笑顔を浮かべているのだが、彼はジェノサイドの際、このキガリで両親を失っている。いままで見たことがない表情に、隠れた心の傷跡に触れているようで私も大変つらい気持ちになった。

私たちがこうした心の傷を癒すのは不可能に近いが、少しでも様々なプロジェクトを通じてルワンダの人たちが自信を持ち、心からの笑顔が取り戻せるお手伝いができればと思っている。



| Rwanda (日常生活) | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |