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ルワンダの子育てその2(育児支援制度・サービス)
前回は、ルワンダの全般的な子育て事情について紹介した。今回は、子育てにまつわる制度についてみてみたいと思う。
まず、産休だが、政府等で働く現地女性たちの一般的な産休は、産前産後あわせておよそ3ヶ月程度が認められている。政府や大使館等につとめる現地職員には、手当てがあり、産前産後1ヶ月半は、契約給料の100%支払いがあり、その後1ヶ月半は、給料の20%の支払いがある。また、その後1年間は、時短出勤が1時間認められる。

身近な職場の同僚などは、結婚したらすぐに子供を生むため、産休や時短は100%の取得率となっている。なお、参考までに男性の産休は4日が認められているようで、こちらも取得率は高い模様。

産休の長さは、意外と短いが、基本的にこうした中高所得者層の家庭には、若い家事手伝いの人がいるため、乳幼児であっても問題はないようだ。こうした環境により少なくとも2歳までは、家事手伝いの人をフル活用して子育てをするのが一般的となっている。結果として両親の家事負担はだいぶ軽減されている。そのため、子供を生み・育てやすい環境となっている。

2歳以上になれば、保育園に行かせる親も多い。興味深いのは、これらの子供の送り迎えは、必ずしも母親ではなく、父親であったり、運転手だったり、家事手伝いの人であったりすることだ。我が家の場合も、平日は、仕事の関係で、夫が子供の迎えに行き、金曜日だけ私が迎えに行っている。

Nursery
自分の子供は、1歳9ヶ月になろうとしているが、つい最近保育園に入れ始めたところだ。これまでは、ベビーシッターにみてもらって育児のサポートをしてもらっていたが、1歳半をすぎて、少しずつ言葉を発するようになると、現在雇っているベビーシッターでは、十分に彼の発達のサポートができないためである。通常家事手伝いとして雇われている人たちは、比較的低所得者で、教育を十分に受けられていない人たちが多いため、いわゆる保育園で雇われている保育士などと比べると、残念ながら、補助的な仕事に限定せざるをえない。ただ、その分人件費も安いということになる。

保育園は、多くのところが2歳児から受け入れる。ルワンダ人が通うところは割安ではあるが、ルワンダのように援助関係者が常時いるようなところだと外国人が通う施設があり、そちらはかなり高い。International schoolに所属する保育園・幼稚園となると子供一人ごとに年間100万円〜200万円程度する。

特に途上国で子供に良い教育を受けさせようとすると、自国と比べてかなり高くつくというのが実態。外国人が住むエリアは、家賃も高額で、生活費が日本よりかかるため、固定収入がある程度ないと、家事負担を減らすためのワーカーを雇えないことが多い。また、教育体制も発展途上である。そのため、乳幼児中は、大きな病気にかかりさえしなければ悪くないが、ある程度子供が大きくなると、育児は難しいと思う。


| Rwanda (日常生活) | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ルワンダでの子育て
さて、4月の下旬にキガリに戻ってきて、2か月が経過した。この間、見聞き、体験したことを書き綴ってみる。帰宅して、すぐバスケットのオーダーのチェックがあったので、生産者組合事務所へ5か月弱の子供を連れて行き、バスケットの生産者組合の女性たちにさっそく見せて、大歓迎される一方、子供にとっては、日本とは、かなり違う環境にさらされる最初のデビューとなった。
Shota at Ihuriro
当然だが、最初に女性たちに会ったとき、あまりに見慣れない女性たちにいきなり抱っこされ、わーかわいいという感じの歓喜の声であふれたとはいえ、日本では、比較的人なれしてきた息子も大泣きした。しかし、少しずつ、一人ずつ抱かれたりといった状況では、泣くことなく、落ち着いていて、むしろ笑うことも増えてきた。

5月に本格的に仕事を再開したが(産休期間は産前(2か月)、産後(4か月)で約6か月だった)、ベビーシッターを見つけることが緊急の課題だった。そこで、いろいろと友人や職場の同僚にも問い合わせをするも、意外と情報が集まらない。どうも外人向けのベビーシッターというのは、あまり人材がいなさそうだった。しかし、ルワンダ人の家庭では、比較的貧困層であっても使用人を何らかの役割で雇うのが一般的で、その中で子供も見ているケースが多い。いろいろ友人にあったったところ、外国人の子供をみていた経験豊富な中年女性で、自らも4〜5人の子供のお母さんである女性の紹介を受けたので、他の候補との比較の結果、彼女が良さそうだったので、雇うことにした。
 
このベビーシッターの雇用費用というのは、ぴんからきりまでだが、外国人向けだと、おおよそ最低月額40,000RWF(約6千円)から80,000RWF(1万2千円)ぐらいまでのようで、これに料理をつくってもらったりと複数の仕事が加わると月給も増えてくる。うちの場合は、昼食もつくってもらうことにしたので、月給は1万5千円程度となる。幸い、職場から自宅までは車で10分強なので、昼食時にはいったん帰って授乳をし、食事をし、少し休みながら子供をあやして、職場に戻ることも可能となった。

ベビーシッター代は、日本に比べて断然安いわけだが、一方、赤ちゃんに必要な紙おむつは、日本の倍以上する。たとえば、日本では、おおよそ、乳幼児体重4−9kg用で1パック80個以上のおむつが入っていて1,200円程度だが、こちらでは、36枚入で1,300円ぐらいかかる。しかも、日本で売っているのと同じメーカーであっても、機能が日本とくらべると劣るというか、使いづらい。たとえば、日本では、おむつがぬれたり汚れたりすると、ラインマーカーが色づき(黄色から緑色など)外からすぐわかるようになっている。一方、こちらのものは、においで判別するようになっていて、おしっこやうんちがたまってくると、おむつに添加された香料のにおいがだんだんきつくなってくる。もっともうんちの場合は、機能にかかわらずすぐわかる(香料以上ににおうので)。おむつの需要は少しずつ増えているのだろうが、値段を見る限り、所得の高い人しか買えないだろうという現状だ。実際燃えにくく、ごみ処理施設がない国で、紙おむつの処理を考えると、布おむつに変えた方がいいかなあと思うぐらいだ。
paper diper
子供をあやす抱っこひもは、ルワンダではおんぶが基本で布でしばる形が基本だ。アフリカ布のキテンゲを使っていて、カラフルで魅力的なものもある。ただ最近は、キガリ市内では日本で見るような専用の抱っこひもを使って前抱きで子供を連れている人も出てきた。
ルワンダおんぶ
一応、うちには日本で買った抱っこひもがあるが、ベビーシッターは1回使った程度であまり使わない。おんぶもできるひもなのだが、使い慣れないせいかもしれない。ベビーカーでの散歩は、うちの近所のようなベビーシッターを雇っている外国人が多い居住区では一般的で、よく見かける。

日中は日差しが強いので、夕方日没前に散歩させるケースが多い。ベビーカーを使わない散歩についても、女性たちが子供をおんぶしながら日傘をさしている姿をよく目にする。公園など近くに人が集える場所はないのだが、私たちが住む集合住宅の通りを開発予定地に沿って散歩して回ったりして、たまに近くの映画学校内の喫茶店でくつろぐ。
gato keza
現在住んでいる家の中の床がタイルに覆われていて、子供が転んだ際に危ないので、この対策は懸念事項だった。夫と話し合った結果、はいはいした際や遊んだ際に転んでもよいように、ジャンボ・プールにジョイントマットを敷く形で遊びスペースを用意することとし、一式を日本から運んできた。この空間は、ルワンダ人の知り合いにも好評だ。
Shota at pool
日本で一般的なおふろはこちらにはなく、シャワーのため、ルワンダに戻る前にどうしようか考えたうえ、1歳ぐらいまで用の空気を入れて使えるビニール製のベビー風呂を日本で買って使っているが、思った以上に小さく、窮屈な感じだが、夫と一緒に、1人が支えて1人が洗う形でやっている。ルワンダ人の低所得者層では、そもそもシャワーもないので、水で拭いたり洗ったりするのが一般的だが、それと比べればかなりましだろう。

5か月下旬ぐらいから離乳食を始めたが、こちらの離乳食に何を使うか聞いてみると、甘くないバナナや、豆をすりつぶしたり、ホウレンソウやニンジンなどをまぜて日本でやるようにあげる家庭も出てきたようだ。最近では離乳食品として、大豆、メイズなどを粉末状にして混ぜた粉が売っていて、これにお湯をいれておかゆ状にしてあげられるものも出てきた。職場の子供がいるルワンダ人女性たちが親切に教えてくれたりして、これも参考になる。
Rwanda polige
今のところ、昼も家に戻ること、また夫も私も5時半ぐらいまでには家に帰り、ベビーシッターと交代しているので、子供もこのペースに慣れ、比較的にこにこしているので、ほっとしている。ベビーシッターは、フランス語で子供に話しかけることが多いが、たまにキニアルワンダ語でも歌を歌ったりしているようだ。ベビーシッターの他、雇っている運転手、庭師、ガードとみんなが子供好きで、よく抱かせてくれと抱っこしたり、気軽にあやしに来てくれ、近所への散歩でも同様で、ルワンダ人がよく声をかけてきてくれ、和やかな環境になってきたのはよい傾向だ。
散歩2
日本と違い、やはり人々がそれほどせかせかしておらず、心に余裕があるせいなのか、平均5人の子供がいるルワンダならではの人々の包容力や子供への自然な愛情を感じる。保育園に預けていないので、集団感染などの病気にかかりにくいのも安心だ。もちろん、発症率は低いが、マラリアや衛生面からくる病気など気を付けなければならない点はある。ただ全般的には、乳幼児の育つ環境としては、結構良さそうだ。
散歩1
| Rwanda (日常生活) | 20:22 | comments(1) | trackbacks(0) |
お産に関わるルワンダVS日本比較 
この度12月4日に長男を日本で出産した。しかし、妊婦生活、8カ月に入るまでのほとんどをルワンダで過ごした。

帰国後、出産までの妊婦生活や病院のサービスなどを受けてみて、あらためて日本の医療機関、行政機関の妊婦・お産に対する基本的な体制・サービスの違いを感じた。特に私の場合は、難産で、医療技術や判断がしっかりしていなければ、胎児とともに命が危なかったかもしれなかったことを考慮すれば、やはり日本に最終段階で帰国して出産したことは正解だったと思う。この違いなどを妊婦生活から振り返ってみる。

ルワンダでの検診は、4月ぐらいからスタートした。ルワンダで一番大きな私立病院で元在日ルワンダ大使から紹介を受けた医師に定期的に診てもらうことにした。超音波で胎児を確認する機械を使って診察室で診てもらうと、ミトコンドリアのような透明に見える胚芽に心拍が確認でき、別の生命体が宿ったんだと、生命の神秘を感じた。それから8カ月に入るまで、1カ月から6週間おきの検診に通った。
kingfisal
日本で妊娠がわかってから地元自治体に届け出てもらえる母子手帳なるものは、ルワンダには存在しない。日本に住むルワンダ人女性が、ルワンダで支援している小学校への定期訪問の際、政府に提案をして導入を試みているのがこの母子手帳だが、まだ導入にはいたっていない。したがって、胎児や妊婦の経過を知らせるものは、病院で医師が作成するカルテのみとなる。

日本に帰国してから分かったことだが、日本では週数が末期になってくると検診の頻度が、1カ月ごとから、2週間に1回、臨月時は、1週間に1回となるが、ルワンダの場合、妊婦検診は、周期が増えるからといって必ずしも頻度が上がるわけではない。若年層の割合が多く、まだ子供の数が平均5人という多産のお国柄なので産婦人科は常に混みこみだ。予約した時間に行っても1時間は平気で待たされる(先生が時間通りに現れないという要因も大きいが)。
妊婦検診のコストは、1回あたり完全に自費で、20,000RWF程度(約3,000円弱)でも、日本で自費だと5,000円なので、それでも、日本の健康保険でカバーされたのを除く自己負担分にちょっと上乗せしたぐらいで、基本的には日本よりは安い。

一方の日本だが、人気のあるクリニックだとやっぱり混む。妊娠末期になって里帰り帰国してからクリニックを探そうとするとお産の受入先がないとの情報を得ていたので、妊娠初期のころから、実家そばの産婦人科をネットで探して目星をつけていくつかあたり、その結果、受け入れてくれるということになったのが荻窪のAクリニックであった。自然分娩で知られ、口コミでも高評価が多かった。
助産師さんは多いものの医師は院長1人というこのクリニックに、かなりの人が通っているため、毎日朝から受付で、最低90分から120分待ちだった。

こちらに通い始めて、また住民票を移して、母子手帳をもらうようになってから、日本の妊婦向けのサービスの充実ぶりに新鮮な驚きを感じた。

日本帰国後、最初にクリニックに夫と一緒に行った時、まず超音波診断装置の精度の違いに衝撃を受けた。器具を子宮にあて、胎児の心音を確認することから始まる。バグバグバグ、、、と待合室にも響くほどの音が聞かされる。それから、胎児の状態を診ていくのだが、体重を推定し、最初はカラーの胎児の顔写真ももらった(これはちょっとグロテスクなので、最初にもらうにはどうかという感じだったが、、、)。そして、こうした超音波検査の様子については、希望をすれば持ち込んだ記憶媒体に動画をコピーしてもらえるサービスがあった。
臨月に近づくと、助産師さんによる胎動チェックなどもあり、とても丁寧だ。さらに、そのクリニックでお産を予定している人向けのお産の仕組みを理解するための講座やさらにお産に向けた体調づくりのためのマタニティ・夫婦ヨガやベリーダンス講座もある。この他、地元自治体でも母親講座を無料開催していて、これも実践的で、しっかり資料ももらえ、充実している。

このクリニックでは、事前講座や体調づくり講座も含め、夫婦での参加を推奨しているため、入院中も父親が泊まれる。また入院中、産後の妊婦向けには、アロマオイルマッサージなどが頼まずともアレンジされていて、リラックスさせてくれる。
Akagawa clinic
さらには、入院中に、心の準備が出来ていないうちにということではあったが、何回かの突然の写真撮影があり、退院時に、それがアルバムの形でいただける。写真の1つは手持ちの小物に貼れるようなシールになってプレゼントされるという心配りぶり。さすがは日本の医療機関。ソフトのサービスが本当に充実している。だからAクリニックを訪れる妊婦の数は、ルワンダほどではないにしても、多くて繁盛しているんだなと感じだ。

それに比べてルワンダでは、お産のために入院するケースは一般的ではないようだ。帝王切開など、手術を必要とする場合は別だが、基本的には入院もせず、ある日本人の経験者によれば、産後の殺菌を自分でやらせるようなところもあるそうだ(お産直後にそれは無理だろうと思うのだが、、、)。

振り返って思うこと:ルワンダと比較すると、明確に日本人のお産力は弱まっている。自分のような高齢出産の場合はなおのことだが、陣痛が弱くお産が進まないような難産が増えている。足腰の鍛え方が、祖父母や親の世代とは違うようで、現代人はそこが弱いようだ。
また、8カ月に入るまでルワンダにいて、よく言われたのが、週数の割に、お腹が小さいということ。ルワンダ人女性のお腹の大きさは、平均して、私の1.5倍から2倍近くあったように思う。遺伝的なものなのか、食べ物のせいかよくわからないが、なぜか日本人とは違うようだ。そして、ルワンダ人女性の多くは、産後そのまま太ってしまう。まだふくよかな方が、よしとされるからだろうが、結婚するまで細くてきれいだったのにーと思うとちょっと残念な気もする。

ルワンダでは母子手帳がないので、乳幼児の経過を行政機関が関与して記録をとり、適切な予防接種をしていく体制になっていないため、乳幼児をルワンダに連れていくタイミングや予防接種の継続が懸念されるところ。ルワンダには早く戻りたいが、医療体制がまだまだなので、乳幼児に関しては慎重にしなくてはいけないかなと思う今日この頃だ。


| Rwanda (日常生活) | 19:48 | comments(1) | trackbacks(0) |
70代日本女性初のルワンダ永住の話
つい先日、ルワンダへ永住するためにやってきた70代の日本女性とお会いする機会があった。2002年と昨年に短期の訪問のみをしたことのある方で、その時の直感でルワンダが終の棲家になると判断して永住を決められたそうだ。現在、関係のビザの取得手続中とのこと。

彼女は、つい最近まで仲間と立ち上げた日本の会社で働いていたという。ルワンダとの関わりのきっかけは、日本の福島市で長らく活動しているルワンダ人、マリールイーズ・カンベンガさんが実施しているルワンダにある小学校の支援活動に参加したことにあり、その一環で、音楽を通じた情操教育を過去2回の滞在中に支援先の小学校で行ったそうだ(彼女は音大出身)。

この訪問の際、小学生たちの純粋さと音楽の吸収力、リズム感の良さに感激したという。いわく、日本の子供たちと比べて頭の中に余計な情報が詰め込まれていない空っぽの状態だから、新しいことに対する吸収力が高いという。別の言い方をすれば、良いことを教えればそれを一生懸命吸収するが、悪いことを教えてしまっても、素直にそれを取り込んでしまうリスクを感じるという。「少しでも良いことを教えたい」という思いが強いようだ。
Umuco Mwiza Kids
通常のルワンダの小学校では、情操教育はカリキュラムに入っていないため、この情操教育を取り入れる試みに役立ちたいと心に決め、ルワンダに移り住んで子供たちと一緒に過ごすことにしたそうだ。
かつて住んだことがないのに永住を決意して、一時帰国も含めてもう日本に戻るつもりはないそうだ。ルワンダに来られる前に、ネパール、カンボジアなどの子供たちの支援もしていたそうで、この支援も、ルワンダに住みながら続けるという。しかし、アジアにある国ならまだしも、日本から見ればはるかかなたのこの小さな国ルワンダに、しかもまだまだ医療やインフラ整備が十分ではないところに永住を決める方がいるとは、驚くとともにその意識の高さに感服した。

「ライフテーマの上にライフワークが乗っかっている」とおっしゃっていたのが印象的だったが、所得水準や宗教的背景など違いはあっても地球上にいる人たちは国を問わずみな仲間なので手をとりあって生きていくべきだというベースの考え方があり、その上で、自分の役立てる分野で残りの人生を楽しく生きていきたいと活き活きと話されていた。未熟なルワンダの医療制度についても、「たとえがんになったってここで受けられる治療を受ければいいです。だってここに住んでいる人は、みんなそれでやってきているんですから。」と心配する様子は全くなかった。

日本にいる仲間からは、えールワンダ?まだ危ないでしょう?とも言われたそうだが、彼女の永住決意をきっかけに、ルワンダに訪れようという方も出てきそうだという。

まだルワンダに到着して間もないのに、さっそく子供たちと触れ合い、キニアルワンダ語の勉強などを始めているそうだ。この方の日本語の名前にちなんで、キニアルワンダ語のお名前は、Izuba (太陽)だそうで、子供たちに自分の名前を紹介しつつ、少しずつ子供たちと一緒にキニアルワンダ語を学ぶ最中だそうだ。英語もフランス語も話せないということで、改めてその決意をすごいと思う。
Sun-s

私の方は、この5年間、新しいビジネスの立ち上げや新しい産業を興すべく、仲間探しから始まって、一からの試行錯誤をしながら、ものごとを作り上げていく面白さに充実感を感じる一方、ルワンダの未熟なビジネス習慣や不十分なサービス、スピード感の無い非効率な政府の意思決定や手続などに辟易し、とてもじゃないけれど一生住むところではないと思っていたところなので、このような純粋な気持ちで来られる方がいることに驚くとともに、長期的な人生設計のあり方について考えさせられた。
| Rwanda (日常生活) | 04:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
開発ブームと土地住宅売買ビジネス
ルワンダは、今経済成長の真っ只中にいるが、特にキガリ市内の建設ラッシュは著しい。これに伴って土地の値段も年々高騰している。もともと国できちんと土地の所有権を登録するシステムがなかったのだが、ようやく昨年から登録制度ができ始め、運用し始められた。このシステムの下、土地売買が今いたるところで盛んに行われている。ただし土地の評価額というのはあってないようなもの。キガリの中でもエリアによってだいぶ値段が違うようだ。例えば、街の中心街だと、1m2あたり1万5千円程度(1坪5万弱)。しかし商業地域が中心だ。次に、住居地域。私たちが住んでいるエリアの近くに高級住宅街といわれるところがある。そこだと1m2あたり7000円程度(坪2万3千円強)。その周辺は、もっと単価が下がってきて、1m2あたり500円(坪1600円)から5000円(1坪1万6千円)ぐらいまで幅がある。
example of the land
主要道路沿いに面していると高く、離れると安くなる傾向がある。キガリ市郊外になるとさらに下がってくる。それでも、土地売買をしているルワンダ人の話を聞いたり、書類をみたりすると、土地の価格が年々倍になっていくのが分かる。こういう実態もあり、土地を仲介するビジネスが個人レベルから小さな業者レベルまで存在する。仲介業者を経ずともメーリングリストを通じ、個人間のやりとりで比較的手ごろな値段で土地を入手できる。

一方の住宅、見かけばかりは無駄に大きい家が乱立している。
大邸宅ラッシュ大邸宅ラッシュ2
中の建て付けが良くなかったり、トイレやシャワーの器具が壊れやすかったり、水漏れしたり、入居してみて問題が発生する住宅が多い。それでも、こうした家を買おうとすると1千万円は軽く超える。ルワンダ全体の国土の狭さと人口密度の高さを考えると、キガリ市内に立てられている巨大戸建て住宅は、どう考えても理にかなっていない。あきらかに少数の富裕層向けに建てられている。日本のように人口密度の高いルワンダだが、アパートなるものはほとんどなく、あくまでも戸建てが中心だ。そうすると一般庶民はどこに追いやられてしまうのだろうかと心配になる。現在、市内の低所得層住宅のエリアは、都市計画の中で、ほとんどが新しい住宅群などにとって変わられることになっている。そうなるとかなりの人々が移住を余儀なくされるだろう。低所得者向け住宅群も作られつつあるが、それらは、キガリ市であっても郊外か交通アクセスの悪いところに位置しているケースが多い。こういう街づくりをみると、貧富の差の拡大や所得格差による住居郡の区分けが明らかになってくる。内陸国で資源に乏しいルワンダは、資材のほとんどを輸入に頼っている。そうなると自分たちで建設したとしても決して安くは収まらない。

市内の主要道路沿いの見栄えはどんどんよくなっているが、多くの人々の生活は本当に豊かになっているのか、低所得者層住宅周辺を散策すると疑問がわいてくる。
| Rwanda (日常生活) | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
ルワンダ人の抱えているもの
近年目覚ましい経済成長が進んでいるルワンダ。特に首都キガリ周辺のインフラ整備については、ここ数年でかなりの変化を遂げた。ジェノサイドの傷跡を消し去るような都市の発展。
City center 2
City center
でも、仕事を通じて様々なルワンダ人に接すると、ジェノサイドの頃の想像を絶するサバイバルの日々などが聞かれたり、書物に書き、現在のルワンダの平和と和解の構築に一考を投げかけるものを見せてもらったりと、表向きには見えないことが見えてくる。人々の自立支援に関わっている立場からは考えさせられてしまう。

そんな1人は最近夫の教えている大学の社会人生徒で、またもう1人は私が仕事を通じて知り合ったルワンダ人である。

話を聞いている限り、最初の方は少数派、後者は多数派民族に属していたようだ。前者のルワンダ人は、授業の帰りに私たちの車に同乗した際、ジェノサイドの時から今までどのように生活を過ごしてきたかを話してくれた。

ジェノサイド発生時には、学校で親しくしていた友人が突然、野獣のようになって自分を殺しに来た。そこで彼が言ったのは、自分を殺したければさっさと殺せばいい。しかし殺した後、君がどんなに後悔するかは考えた方がいい、ということだったそうだ。それを聞いた友人は、怖くなって帰ったのだが(彼の父は教会の神父で、彼の発言は、宗教熱心なルワンダ人に天罰への恐れを喚起した可能性が高い)、その後に別の人が襲いに来たという。それでも幸い、彼も含めて彼の家族はほとんど生き延びたが、彼の友人は、本人を除いて親、兄弟姉妹が殺されて、かなり最近まで毎年、追悼期間の頃になると、なんであんなことが起こったのかと問い続け、トラウマ状態だったという。その友人は最近結婚して子供ができ、彼の心の中に変化が訪れているかもしれない、ということであった。
話してくれた本人は、非常に努力家で、かつ思いありのある人物と見受けられた。現在国際機関に勤めているが、よりよい条件のポストを見つけて応募したが、最終に残った候補のあと1人が当時無職の彼の友人であったことを知って、友人に、自分にもまたチャンスがあるからっといってその職を譲ったという。この国で特に職に関しそんな心に余裕がある人物を見たことが無かったので、大変に感心した。そういう人物なので、着実に仕事の実績も伸ばし、家族計画や生活設計も聞いた限り順調で、自らの家も建て始めたようだ。

一方後者のルワンダ人。仕事を通じて知り合った青年だが、唯一現場で信頼が置ける人物だった。プロジェクトの進行にトラブルがあり、本人にお金が払われていない状況だったにもかかわらず、誠実に問題解決を支援してくれた姿に頭が下がる。その彼がふと、本を書いたので見てくれないかというので最近その原稿を読んでみた。すると、彼の非常に重い生き様が見えてきた。彼は多数派だったが、両親はとても良識のある人たちで、差別は最悪のこと、お互いを尊重することは人間の尊厳に関わる基本的なことだとたたきこまれたそうだ。お父さんはジャーナリストでお母さんは貿易商をやっていた。民族の別なく隣人や学校の友達ともうまくやってきた日々。
しかし突然に良好な関係がジェノサイドの勃発とともに崩れてしまった。彼の手記では、現在政権を握っており、当時の虐殺を止めたと言われている少数派の軍も殺戮を行っていたようだ。戦渦が悪化したので、彼らはコンゴに逃れ、そこから一時はガボンまで逃げたという。避難の様子を見ると、当時10歳ぐらいだったかと思うが、そんな年で経験するにはありえないような、想像を絶する、いつ襲われるか分からない恐怖の日々を過ごしている。3年間の海外での逃亡生活から、命からがらルワンダに戻ってきたが、難民収容所にいったん入れられ、そして地元に戻ってくると、まだ多数派への襲撃が終了しておらず、その中でずっと一緒にいた父親をなくし、無実の母親が突然ガチャチャ裁判(虐殺を裁く民衆裁判のこと)に召喚され、犯罪に一切関わっていないにもかかわらず、他人にでっちあげられた証言により有罪扱いになり、19年の刑期で現在も留置所に入れられているという。親が不在同然の状況下で、タンザニアで一部の教育を受けたあと、ルワンダの技術専門学校を卒業し、建築やインフラ整備がらみの仕事を、契約が得られれば、短期で行う日々をすごしている。
彼曰く、現実問題として、多数派出身の人は、教育だけでなく、仕事を得られる機会になかなか恵まれず、不利な立場に置かれているようで、彼などもルワンダでは仕事が難しいので、隣国のタンザニアに職の機会を求めているという。彼の手記には、政治的にまだ言論の自由がなく、有力な野党が事実上存在できない状態を指摘し、そこが改善されたすべてのルワンダ人による国づくりができるような体制づくりを望んでいると書かれていた。実際、2010年の大統領選挙の際には、反体制派の人や政府に批判的なジャーナリストなどがつかまったり、殺されたりする事件があっただけでなく、このような傾向は今でも続いていて、まだ恐怖政治といわなければならない現実もある。
千の丘

二人のどちらの話も自分の中で想像をしたくない、想像ができないようなものだ。しかし、彼らの前向きな姿勢をみていると、小さなことで悩んだりすることが無駄だと思え、自分たちがかなり勇気づけられる。頑張って生きないとと思えてくる。彼らのような若者がルワンダに増えてくれば、この国の将来をを他人まかせにせず自分たちのこととして真剣にとらえられるようになってくるのかなと思う。
| Rwanda (日常生活) | 05:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
ルワンダでの結婚式その2:伝統儀式と地元役所の役割
つい先日、友人であるドイツ人女性とルワンダ人男性との結婚式があり参加してきた。ドイツ人女性は一緒にキニアルワンダ語を勉強している仲間である。ルワンダの結婚式は、近年、結納式、教会、そして披露宴という3段階を経るパターンが多いのだが(伝統的な結婚式はさらに手続が煩雑)、彼らはこの手順のいくつかの一部を混ぜる形での式を開いた。
新郎新婦の着席
両家代表による交渉
この結納式で特徴的なのが、新婦が嫁ぐことを確定させるための両家のやりとりである。新郎の家族代理人が新婦の家族代理人に新婦をもらう許可を得る儀式なのだが、直接的なやりとりではすぐ終わってしまうので、少々冗談を交えて、その娘がいるかどうかは自分が歳をとって忘れてしまったとか、類似姓の女性はいるがその娘のことか、隣人にもいい女性がいるかこちらはどうかなど新婦側が少々の抵抗を示し、しかし最後には了解を出して、新婦が登場するというスタイルである。
新郎の入場
新婦の入場
両親への挨拶
その際、新婦の家族に牛が何頭か贈呈されるのだが、その数が発表される。牛の贈呈といっても本物の牛は通常は登場しないのだが、彼らは、わざわざ2頭の牛を会場に登場させる工夫をした。(実際の贈呈は3頭で、1頭はその後のパーティーで串焼きとして出された)
牛の入場
ダンスの披露
この他に興味深かったのが、この式の前日に行われたキガリ市内の役所での入籍手続だ。日本では、入籍にあたり、ただ書面を提出するだけだが、こちらでの入籍には、役所の所長が仲介をし、1時間ほどかかる。そこでやることは、カップルに、入籍を認めるための、基本的な質問をまず行う。1.あなたは21歳以上ですか?(ルワンダでは男女とも21歳以上でないと結婚ができない)2.あなたの性別は?(同性の結婚は認められない。ただし身体チェックはない(笑))3.あなたは親戚関係ではないですね?(例えば従兄妹同士は結婚できない)

この基本的事項の確認のあと、宣誓書をカップルそれぞれが、ルワンダの国旗を握りながら読み上げ、その後所長から新郎新婦への助言も兼ねたちょっとした質問と話がある。彼らの時は、別のカップルと一緒にこれをやったそうだ。

例えば、所長が新婦に、「今後は、新郎が家の長となりますが、それはあなたにとってどういうことを意味しますか?」(これに対する受け答えは結構難しい。友人もよく分からず「今と特に変わらないし夫に家族の代表としての責任が生じるだけで自分には何も責任はない」と答えて、「それは違う」と所長からたしなめられたようだ)「あと、子供は何人予定していますか?」と聞かれ、子供をしっかり育てるための家族計画の重要性を説くそうだ(ルワンダではいまだに各家庭の平均的な子供の数が5人以上であり、過剰な人口増加の抑制が課題)。

こうした役所での手続を聞くと、地域的なサポートというか面倒見の良さを感じる。日本での入籍は、ドイツなどヨーロッパも似ているようだが、紙切れだけのものであまり地域との結びつきというのは感じない。しかしこうしたスタイルの入籍は、新しく夫婦となるカップルにきちんとしたそれぞれの役割や家族計画について意識を持たせるのに役に立っているのかなと思う。
| Rwanda (日常生活) | 01:48 | comments(1) | trackbacks(0) |
サプライズのバレンタインギフト!
知り合いのルワンダ人に関するちょっと気がかりなことがあり、16の組合を統括する組合長の女性に相談するため会うことになった。オープンカフェがあるホテルの敷地で、バスケットの進展状況を聞いた後、組合長の女性が突然、バレンタインギフト!といってバスケットを差し出した。これがおかしいのだが、前回JETROやRuiseBの小澤さんが来た際に新しいデザイン創出のためのコンペを行ったのだが、そこで1位になった"あのデザイン"だったのだ。
Baskets for Valentines
赤黒のコントラストが印象的な花形デザインだが、この赤の使用が非常に情熱的な印象を受けるデザインなので、バレンタインには合うかも!と感じるものでとても嬉しかった。彼女がつくったものだそうだ。「織り子の女性たちは私のことをとても好きなんだよ」と付け加えていってくれた際には、何やらくすぐったいような気持ちになったが、私も女性たちのことが好きだったので、私もよと返した。
こんなことから始まって、こちらの相談ごとも聞いてもらった。解決しないことはわかっていても聞いてもらったことで、(といってもその一部しか理解してもらわなかっただろうけど(笑))少し気持ちが楽になった。
その後、彼女がうちに来るか?と聞いて来たので、じゃあ行くと伝え、ちょっと遊びにいくことになった。
彼女がもともと所属する組合のそばに彼女の家はあった。ジェノサイドで子供たちと夫を失ったため、娘の子供と親戚の子供あわせて3人の子供と一緒に住んでいる。どこの家庭も家族構成を聞くと重い気持ちになるが、ルワンダでは普通のことである。子供たちは直接の親がいない中で生活をしているわけだが、話をしていると前向きに生きている様子が伺えてちょっとほっとした。
そんな中で彼女の隠れた?過去がわかって興味深かったのだが、彼女はダンサーとしてルワンダの代表団に加わり、ヨーロッパや中国、日本まで来たことがあるというのだ!今までなぜ話してくれなかったの?っていう感じだったが、写真を見せてくれてどうも本当らしいということがわかった。今でもルワンダのバレーダンサーを指導しているという。そうだんたんだーと彼女の多才ぶりに関心したが、それで彼女はいつも忙しそうだったのねと納得した。
一緒にいる子供たちも彼女の活躍ぶりを写真で見てあらためて興味を持った様子だった。一緒に住んでいる親子の関係がどうであってもこれもりっぱな“家族”なんだよなと感じながら、彼女にお礼をいって家に帰った。帰る頃には、たわいもない会話のおかげで彼女から元気をもらった金曜日の午後だった!ありがとう。
ウラコゼ!  
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ルワンダで3年が過ぎて:国や人々の生活の変化についての雑感 
ルワンダで3年が過ぎて:国や人々の生活の変化についての雑感        

私がルワンダにやってきたのは2007年7月3日。ルワンダ解放記念日の1日前だった。翌日ルワンダ最大の競技場で、首都キガリにあるAmahoro Stadium(平和競技場)のルワンダの解放の日記念行事に大勢のルワンダ人に交じって参加したことにより、ルワンダにやってきたんだという実感がわいてきた。平和ボケした日本の行事と比べると、軍隊の演習のようなもの(空手の延長のようなもの)があり、確かに違う国に来たという意識になったものだった。
liberation day2
liberation day1
それから少しずつ地球の反対側、日本とまるで違う環境での生活が始まった。とまどいの多い1年目、一緒に働ける仲間を見つけ少しずつ自分の関わってみたい仕事をし始めたのが2年目、しかし交通事故にあい、改めて人生について考えさせられたこと。そうこうしながらも少しずつ物事も好転してきて、充実してきたのが3年目。日々すごしながら、国の変化や人々の変化も目にしてきた。

今回は、この国や人々の生活の変化に関わることを簡単に振り返ってみたい。

1. インフラや風景の変化
2007年に来たばかりのころはキガリ市内の街灯は現在に比べると半分ぐらいでかなり停電も激しく、夜になると節約のためか街灯があえてつかないところも多々あった。郊外の道路は、西のキブ湖に面するギセニ(Gisenyi)にいく道は、途中から道の状態が悪かった。ここ3年間でこうしたものの改善が進んだ。
Gisenyi road
うちのすぐそばの道路には街灯がつき、夜は薄暗くて危なかった道が明りの確保される道になった。キガリ市内中心部の街灯も、本年9月上旬の大統領就任式までに一気に敷設されたが、かなり突貫工事という感じがぬぐえず、強度や耐久性に不安があるのが難点。さらに、国を縦断する主要道路もずいぶん道が改善された。現在も進行中ではあるが、北から西を走る道路はルヘンゲリ(Ruhengeri)からギセニに行く道が拡張・改善された。2008年の終わりぐらいからだったか、全国各地で光ファイバーの敷設が積極的に始まり、導入がほぼ全国の主要道路沿いで進んだ。
optic fiber
また国民一斉清掃(Umuganda)や県知事の意向により沿道沿いに植栽が整備され、花や緑の沿道があちこちに見られるようになった。 
沿道の生け垣
キガリ市の中心街では、次々と新しい高層建築物、ホテルなどが建てられ、建設中のところも多数ある。この3年間で、街頭スクリーンがキガリ市内だけでおそらく10近く設置されている。なぜだかこの街頭スクリーンがとても人気だが、景観的にいえばあまり美しいものではない。あっちもこっちもとなるとギラギラして落ち着かない感じだ。
TV screen in town
2007年から2008年までは、キガリ市内のお店は、レストランや一部のガソリンスタンドを除き夜8時ぐらいまでに閉まるところがほとんどだった。しかし、2009年にはケニアの24時間スーパーNakumattがルワンダに進出。24時間営業のお店や随分遅くまで開くお店が出てきた。
Nakumatt
ルワンダは、道沿いで露天を出すのが制限されていて、近隣のアフリカ諸国とは異なる。それが、道沿いをきれいに見せている利点ではあるが、例えばタイのような安くて簡単に食べれるようなものが通り沿いになく不便だし、活気や楽しみには欠ける。
しかし最近、庶民が住むエリアで本格的な露天は難しいが、ポップコーンを売る店がちらほらと出てくるようになった。これも規制の中で可能なものが出てきていると思われる。

市内の開発に絡んでは、キガリ市内にひしめき合っていた市民の住居群で主要道路沿いにかかるところでは、都市計画の推進により撤去を余儀なくされている。この移転費用や補償費用が十分ではない、とかなり居住住民から苦情が寄せられていて、メディアでも報道されて問題になっていたが、結局全世帯が移転。しかしながら、いまだ裸になった土地では特段の開発も進んではいない。私たちの住居のすぐ隣の丘に密集していた住居も撤去の対象となり、数か月の間には撤去が完了し、ルワンダ人の隣人もいなくなってしまった。
Demolish the housesトタン屋根の家2
煉瓦よりトタン屋根が人気があるのは、軽くて家の土台に負担がかからないからだという。しかし、トタン屋根は、雨季には音がうるさくてとても過ごしやすいとは思えない。

3. サービスの変化

2007年に来たばかりのころは、サービスという考え方のなさに戸惑いやいら立ちがあった。日本にいるときには当たり前のサービスの良さ、速さ、丁寧さがまったくなく、サービスを提供する側に問題があっても向こうから連絡をしてくることはなく、あくまでもサービスの受け手が何度も電話をかけたりして連絡をとらなくてはならないことが多々あった。電話会社とのインターネットのトラブルに関するやりとり、空港の紛失に関するやりとりなど、こちらが迷惑を被っているにもかかわらず、まず先方から連絡が来ることはなかった。レストランでは、注文してから食べ物が出てくるのに1時間も待たされることが不思議ではない状態だった。

しかし、ここ1年ぐらいか、少しずつサービスらしき考え方が政府機関等による研修等の実施や大統領の呼びかけにより導入され、少なくともレストランに関しては、食べ物が以前より早く用意されるようになった。新規レストランの開店が盛んなこともあって、少しずつサービスの向上が自然と求められるようになったことも大きい。その他の電話等のサービス業は、オペレーションは少々効率的になったが、相変わらず、問題が起きた場合の対応があまり改善されておらず、カスタマーケアーという感覚が欠如している状態が見受けられる。

4. メディアの放送内容の変化

1年目はあまり目にしなかったコメディー番組や他のアフリカ諸国や韓国など海外の恋愛ドラマ、日本のNHKの科学番組などがテレビに登場するようになった。ラジオ放送に関しては、民放放送局でちょっとした雑学クイズ兼雑談番組なども登場し、ルワンダ人の一般教養を高めるのに役立っている。外国人である私でさえ、聞いていてなかなか興味深い。例えば、世界で最も森林面積が高いのはどこの国か。エベレスト山の高さが変わったというが、どのくらい変わったのかとか、身近な話題でいえば、ルワンダのキブ湖の深さはどのくらいか、といった話題である。日本では、こうした雑学に関するクイズ番組が相変わらずの人気だが、ルワンダでもこうした放送が始まるようになった。新聞でもまだまだ政治的な話題には制限があるものの、一部の民間新聞ではいわゆるゴシップ、政治家などのスキャンダル的な話題を取り上げるようなものも出てきた(そういう新聞はホッチキスで閉じて売られている)。


こうして見てくれると3年間で特にインフラに関わるものは、ずいぶんと変化を遂げたように思う。日本の戦後の経済やインフラの立て直しに近いものがあるのかもしれない。しかし農村地の生活は、まだまだ日本の江戸時代より前かというような素朴で原始的なものだ。そう考えると、日本では今経験することのできない時代へタイムスリップしているようだ。加えて、その発展に自らも関わっているという面白さ、さらに、現在日本や世界で起こっているグローバルな情報は、インターネットなどを通じてリアルタイムに入ってくるというとても不思議なところで生活をしている。

農村地にいる人々も素朴な生活をしながら、ラジオから入ってくる情報を取り入れていることがあり、例えば、ラジオから入ってくる情報をもとに想像する都市のイメージから、ド田舎の中心地の名前を「パリ」と名付け、それが村民の中で普通に使われたりしている。
農村地の風景
3年間こうした不思議な環境で生活や仕事をしてきたが、もう少しこの国の発展や人々の生活の変化に関わって一緒に汗を流していきたいと思っている今日この頃である。

| Rwanda (日常生活) | 19:24 | - | - |
大統領就任式前のキガリ市内の変化
再選されたポールカガメ大統領の就任式6日を前に、キガリ市内の主要道路沿い及びランドアバウト周辺の整備が急ピッチで進められている。目につくのは、歩行者道路と車両道路の間の側面を伝統的色の組み合わせといえるのかはわからないが黒白の縞模様にペンキが塗られ、President Inauguration1
中心街に近い主要道路では、拡大された車線の完成と電灯の配置がほぼ終わり、車線の側面には、バナナなども含めた様々な植栽の整備をあわただしく行っている。給水車も出て、かなりお金を使っている様子がうかがえる。
乾季の時期は、水はとても貴重で、家のタンクの水がなくなってしまった際に給水車から水を買ったことがあるが、タンクを一杯にするのに、4千円ぐらいかかった記憶がある。
President Inauguration2
President Inauguration3
President Inauguration4
キガリ市のある職員の女性から聞いたところによれば、部署のいかんに関わらず、職員がほぼ全員この大統領の就任式前のキガリ市内のこうした整備にかかりっきりだという。他の業務はそっちのけの状態である。市長の云うことに反対するものは、職責を全うしていないとしてこの件だけで、首になる勢いだという。でも彼女いわく、税金の無駄遣いもはなはだしいとのことだが、確かにそういわせるぐらいにこの整備の勢いや人の動員はすごいものがある。
それにしても大統領の就任式ということだけで、市内全体をあげて、街を美しく見栄えよくする努力はすごいと思うが、日本のように首相が一年もたたずに交代されるようなところだとなぜそこまでやる必要があるの? というのが正直な感想。海外の要人が来たかのように街中の警備や警戒態勢もかなりぴりぴりしている。実際にこの就任式に参列する要人が結構来ているようで市内のホテルは一杯だそうだ。 
| Rwanda (日常生活) | 00:36 | - | - |