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<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>エコ・ファシリテーターの協働日記</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/" /><modified>2010-06-13T17:29:39+09:00</modified><tagline>環境プランナー三戸優理の最新ルワンダレポート! 
The latest Rwanda report</tagline><generator url="http://jugem.cc/">JUGEM</generator><entry><title>ルワンダの伝統的な服と中華料理屋の女性用の制服とのギャップ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1189462" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1189462</id><issued>2010-05-20T16:26:57+09:00</issued><modified>2010-06-13T08:29:39Z</modified><created>2010-05-20T07:26:57Z</created><summary>ルワンダの伝統的な服、特に全国的にみられる女性の服装でいえば、アフリカの布キテンゲを使った上下おそろいの生地で２ピースのものか、長いワンピース。それに頭に巻くものがあると完璧だ。
   
また結婚式などフォーマルな場で身につけるドレスのたぐいもスカート丈...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (日常生活）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダの伝統的な服、特に全国的にみられる女性の服装でいえば、アフリカの布キテンゲを使った上下おそろいの生地で２ピースのものか、長いワンピース。それに頭に巻くものがあると完璧だ。<br />
<img src="images/P3270219s.jpg" width="300" height="225" alt="キテンガ" class="pict" />   <br />
また結婚式などフォーマルな場で身につけるドレスのたぐいもスカート丈が足までつくインドのサリーのようなもの（mishinanaという）が通常で、どれもスカートが長いのが一般的である。<img src="images/DSCN3776s-mishinana.jpg" width="300" height="225" alt="mishinana" class="pict" /><br />
<br />
ところが、この伝統などはおかまいもせず、中国式？のひざ上の短いスカート制服を女性に着せるレストランが首都キガリの最近あちらこちらに出来ている（それだけ、新しくできるレストランに中華料理が増えている）。といっても、最初はそうした女性の給仕用の服を注意して見てはいなかったのだが、いくつかの中華料理屋でうちの運転手が、給仕の女性に「なぜスカートがそんなに短いのか？」という質問をしていているのを見て、その服装がルワンダでは珍しいことに初めて気づいた。<br />
<br />
興味深かったのは、そうした女性たちの運転手への答えである。彼女たちは、この短いスカートが好きではなく、身につけたくもないらしいのだが、制服として与えられていて仕方なく着ているとのことだ。<br />
<br />
ルワンダ人の男性から見ても、このスタイルは娼婦のようで好ましくないらしいのだが、女性たちにも違和感があるというのが本音というのが興味深い。やはり伝統的な服のスタイルとは違うことからなんだか恥ずかしいということもあるのだろう。それにしても、相次いでできた中華料理屋でそろって女性の制服のスカートが短いというのはどういうことなのだろうか。地元の服のスタイルを全く考慮せず、中国式というのかアジア的というのかそうしたスタイルを押しつけるのはよろしくないだろう。<br />
]]></content></entry><entry><title>タンザニア、アルーシャへの車での視察旅行とルワンダとの違い</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1169420" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1169420</id><issued>2010-03-30T11:30:01+09:00</issued><modified>2010-04-17T06:48:14Z</modified><created>2010-03-30T02:30:01Z</created><summary>３月の中盤に植林とバイオ燃料のプロジェクト関係の先進事例を見るためタンザニアのアルーシャへ雇っている農業技術者と運転手そして夫とともに訪れた。

目的地は、キガリから1,000kmあまり離れているアルーシャ。東アフリカを以前長距離バスの運転手として走ったこと...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (環境活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[３月の中盤に植林とバイオ燃料のプロジェクト関係の先進事例を見るためタンザニアのアルーシャへ雇っている農業技術者と運転手そして夫とともに訪れた。<br />
<img src="images/P3190302-s.jpg" width="250" height="188" alt="Arusha" class="pict" /><br />
目的地は、キガリから1,000kmあまり離れているアルーシャ。東アフリカを以前長距離バスの運転手として走ったこともある運転手のレミーと相談したところ、アルーシャは行ったことがないが、１２時間ぐらいでいくのではないかということで朝４時半すぎに出発し、みんなをピックアップして５時前にキガリを出発した。しかし、国境付近と、国境を越えてからいくつか難点があり、予想をはるかに超えて時間がかかりなんと２０時間以上もかけてアルーシャにたどり着くことになった。そのトラブルのいくつかを上げてみる。<br />
<em><em><strong>トラブル１．国境のタンザニア</em>側での収賄疑惑？</strong></em><br />
国境を越える手続きは、まずルワンダ側で出国の手続きを行った後、数メートル先のタンザニア側での入国手続きとなりVISA等手続が済めばすぐに入国可となる。そこで問題が発生した。私達の車はＵＮのプレートがついて明らかに外国人の乗っている車だったためか、タンザニア側の車の入国許可を出す担当者が、ルワンダ側のルワンダ国税局で車の証明書？なるものがないと入国させないと言ってきた。しかたがないので、ルワンダ側に戻り、ルワンダ側の担当者にお願いして出してもらったが、通常は求められないそうだ。担当者によれば、彼らが時間稼ぎをし、賄賂を要求するつもりだったのではといわれた。それは最も避けたいところ。運転手に証明書をもって賄賂を求められないよう気をつけて処理するようお願いした。なんとかそのあとはさらに言われることはなく、通してもらうことになったが、予想外に時間がかかり国境付近で５０分近く過ごす羽目に。<br />
<em><strong>トラブル２．アルーシャに向けて道路走行中に警察に不合理に止められ</em><em>罰金を請求される</em></strong>。<br />
タンザニアのアルーシャに向けて走行中、1/3ぐらいまで来たかどうかというところ、道路沿いに駐留していた警察官のグループに止まるよう指導された。警察によれば、スピード違反だというのだ。スピードガンを示し、ここは50km制限で、君たちの車7７kmだから罰金２０ドル払えというもの。しかし私達がみたところ警察の前を通る直前の標識は100km制限を指しており吹っかけられているようにしか思えない。とりあえず、運転手のレミーが代表して交渉を英語とスワヒリ語を混ぜてやってくれ、最後は５ドルを払うしかないというところまで来て、私達をちらりと見た後、結局警察側が払わなくてよいとして行かしてくれた。<br />
ルワンダと違ってタンザニアやケニアでは賄賂が横行しているようなので、こうした警察による不合理な罰金請求はあまり驚くべきことではないようだ。しかしこれによってまたしても４０分ぐらいロスをしてしまった。<br />
<em><strong>トラブル３．最後300km未舗装の道</em></strong><br />
さらに誤算だったのが、残り３００ｋｍ余りというところで舗装していない道しかアルーシャへ辿りつく方法はないということが地元の人たちの話でわかり（事前にグーグルマップで見た時には、道の状態までは見えなかった）目の前が真っ暗になってきた。ガソリンスタンドの若者は、バスだと７時間ぐらいかかるらしいといっていた。その時、すでに夕方の６時を回っていた。道が舗装されていないということは、明るいうちはまだある程度のスピードでいってもコントロールができるが、暗くなったらスピードは出せないし、のろのろ運転でいくしかない。いったいいつになったら着くのか。レミーを励ましながらみんなで頑張って目的地へ向かった。国立公園付近の未舗装道路はあたりが真っ暗で、建物らしいものが見当たらなかった。日中はどんな風景なのだろうか、夜だと薄気味悪い感じだ。<br />
<img src="images/P3170110-s.jpg" width="250" height="188" alt="一寸先は闇　Arushaに向かう道で" class="pict" /><br />
ようやく夜中１２時半を回ったころ、アルーシャの街へ入るための警察チェックがあり、ようやくアルーシャに着いた。頭がぼーっとしながら、なんとかホテルを探したどり着いたのが夜中の１時ごろ。朝４時半に家を出たのだから２１時間近くかけてようやくアルーシャに着いたことになる。どおりで車で行くという人を聞いたことがないと思った。こんなに遠いのね、、、、と実感。かなり無謀な旅になってしまった。<br />
<br />
後日アルーシャにある日本人が経営する日本食レストランに行ってわかったのだが、アルーシャは結構銃を突きつけた強盗、収奪事件が多く、夜、道を走っていて場所によっては罠をかけて止めさせ集団でやられるケースも多いという。なので、夜中走ってきて無事にホテルに到着したこと自体かなり幸運だったことになる。あとで考えると恐ろしいが、二度とこういう行き方はやめようと決めた。帰りは別のルートで国立公園を通って２日かけていくというもの。国立公園を通過するのでお金はかかるものの現実的な選択だった。<br />
予想を超える長時間の旅とはいえ、アルーシャまでの行きと帰りのNgorongoro保護地区やSerengeti国立公園などを通ってきて、タンザニアの風景は、ルワンダとはかなり違うスケールの大きさを感じた。<br />
<img src="images/P3170099-s.jpg" width="250" height="188" alt="岩が隆起した地形" class="pict" /><br />
<img src="images/P3205029-s.jpg" width="250" height="188" alt="Ngorongoro national park" class="pict" /><br />
<img src="images/IMGP1740-s.jpg" width="250" height="188" alt="Masai lady" class="pict" /><br />
果てしなく続くサバンナの風景や太古とのつながりを感じさせる大きな岩が隆起した地形の数々。アフリカらしい広大な風景が広がっていて美しい。<br />
マサイ族の定住地域でもある。<br />
<img src="images/P3205029-s.jpg" width="250" height="188" alt="Ngorongoro national park" class="pict" /><br />
<img src="images/P3205077-s.jpg" width="250" height="188" alt="Ngorongoro national park2" class="pict" /><br />
<img src="images/P3205148-s.jpg" width="250" height="188" alt="Ngorongoro national park3" class="pict" /><br />
<img src="images/P3205204-s.jpg" width="250" height="188" alt="Serengeti National Park" class="pict" /><br />
ルワンダとの国境からそう離れていないところは、結構森が残っている。<br />
<img src="images/P3170010-s.jpg" width="250" height="188" alt="Forest in Tanzania" class="pict" /><br />
しかし視察先のパートナーグループによれば、かなりのスピードで森が焼失しているという。<br />
そのため、ジャトロファなど薪やケロシンの代替燃料となる木を植えてそうした木の伐採に歯止めるかける活動を展開しているのだ。<br />
視察先付近ではアフリカ最高峰キリマンジャロも眺められ、反対側の道路には、地元の山、メロ山が立ち聳えている。とても壮大な景色だ。こんな風景を毎日見ながら生活しているんだからせかせかするわけがない。人も自然と気持ちのおおらかなのんびりした傾向になるだろう。<br />
<img src="images/P3194877-s.jpg" width="300" height="225" alt="Mt. Kilimangaro" class="pict" /><br />
ルワンダでも結構視野が広いと感じたが、タンザニアはその比ではない。ルワンダの場合、ほとんどが丘状の地形のため、その分水平線の広がりが感じられないのかなと思う。アルーシャのあたりは、結構土が火山灰の混じった良質のもので穀物の育ちがよいようだ。代替燃料対策で植えているジャトロファは、穀物の畑を邪魔することなく、穀物の周りに囲いや生垣として植えられている。<br />
<img src="images/P3180130-s.jpg" width="250" height="188" alt="Jatropha site" class="pict" /><br />
すでに１０年以上にわたり、この団体が関与する前からこの木が植えられていたようだが、木の活用方法がわからずにただ切り倒されていたようだ。そこでこの団体では、ジャトロファの種から絞った油の活用方法を実際に活用しやすい道具（ケロシンや薪の代わりになるジャトロファ用ランプや調理用ストーブ）や石鹸を自前で開発し普及啓発活動をしている。<br />
<img src="images/P3180265-s.jpg" width="250" height="188" alt="cooking stove" class="pict" /><br />
<img src="images/P3180299-s.jpg" width="250" height="188" alt="Jatropha soap" class="pict" /><br />
すでに協力しているいくつかの農家のグループでは実際に油を抽出し、石鹸をつくって地元で売るサイクルを始めている。<br />
興味深かったのは、ジャトロファの花を使って蜂の巣をつくる仕組み。<br />
<img src="images/P3180160-s.jpg" width="250" height="188" alt="Jatropha beehive" class="pict" /><br />
ジャトロファの花を活用してできた蜂蜜はさらに栄養価が高いとの結果が出ているという。ルワンダでも、養蜂は近年盛んになってきているので調査は必要だが、やってみる価値はありそうだ。<br />
<br />
ルワンダでは気がつかなかった１９９４年の内戦の影響を感じさせたのが、タンザニア人のルワンダ人に対する反応である。ルワンダと違いタンザニア、ケニア、コンゴなど近隣の国々は、民族の数も多いうえ、言語の数もそれに応じて異なる。しかしルワンダの場合は、言葉も同じなのに部族を区別し格差を設けていた。タンザニア人にとっては、民族の違いは言葉も違うことから尊重されており、繊細な問題ととらえていないのかもしれない。こちらがドキッとしたのが、車の中で先頭に座っていたルワンダ人二人（農業技術者と運転手）にかけた質問である。「それで二人はフツ族系なの？鼻がすっとしていないし、、、」ルワンダにいる限りルワンダ人としてＩＤ登録している今、こうした質問をするのは過去の紛争時の問題を再燃させかねないのでセンシティブなことである。しかも容姿の特徴からそうしたことを指摘するのはますますよろしくない。<br />
しかし黙って様子を見るしかないとやりとりを聞いていた。農業技術者のアレックスがこう切り返した。僕たちはフツ系ではないけれども、今は、ルワンダ人として生活していて、元フツ族やツチ族の人たちを容姿で判断することは難しくなっているんだ。混ざっている人も多いし。フツ系の人も鼻筋が通っていてきれいな人も結構出てきているんだよ。」っと。今度は運転手のレミー方がちょっと疑問をなげかけるように「なんでぼくがフツに見えるんだい？」とも聞き返していた。私達は、かつて彼らにそうした質問を聞いたことがなかったのでなんだか居心地が悪かった。<br />
しかしここだけでなく、キガリに戻る途中のムアンザというタンザニアで２番目に大きい町にあるホテルに滞在したときも同じことが起きた。あとでレミーが教えてくれたのだが、今回の旅で１０人近くに同じような質問をされたそうだ。かつて彼がウガンダに行った時もウガンダにいるルワンダ人と思われる人に君はIntelligence (秘密警察)か？と聞かれたこともあるという。どうもこうして質問をしてくる人たちは1994年のジェノサイドが起きた時に加害者として関わり、近隣の国に逃げた人たちが多いという。ルワンダに戻ってくると即つかまり牢屋に入れられるため、タンザニア人やウガンダ人として生活をしながら戻って来られないままになっているそうだ。<br />
ルワンダにいる限り、表向きこうした過去の紛争の影を深入りせずとも活動はできるのだが、かえって他の国に行った時にあからさまになってくるのが皮肉なことだと思った。幸い二人ともさほど気にしていないようだったが、過去の内戦の傷跡は近隣の国の人々との関係も含めてまだまだ消えないもののようだ。<br />
<br />
タンザニアの壮大な風景を見た後、ルワンダに戻ってくると人口密度の高さや道の狭さに気付かされる。でも夕日が連なる丘の上にかかり静かに落ちていく風景を見て何やらほっとした気分になった。よかった無事に帰ってきた！<br />
]]></content></entry><entry><title>ルワンダバスケットビジネスの進展！</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1149486" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1149486</id><issued>2010-02-15T17:46:41+09:00</issued><modified>2010-02-16T07:35:32Z</modified><created>2010-02-15T08:46:41Z</created><summary>日本とルワンダの懸け橋となるルワンダのバスケットの輸出・販売ビジネスが開始されてから８ヶ月以上経過した。その間に３回の輸出を行い、1,000個以上のバスケットが日本に届けられた。

日本側では、その間、RuiseBの小澤さんが販路の開拓を熱心に行っていて、JETROな...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (その他活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[日本とルワンダの懸け橋となるルワンダのバスケットの輸出・販売ビジネスが開始されてから８ヶ月以上経過した。その間に３回の輸出を行い、1,000個以上のバスケットが日本に届けられた。<br />
<br />
日本側では、その間、RuiseBの小澤さんが販路の開拓を熱心に行っていて、JETROなどを通じても少しずつルワンダバスケットに対する取り扱い要望などが来ていたが、12月に行われたインテリアデザイン展への参加でさらに注目を集め、有名デパートやインテリアショップからも取扱希望が出てくるようになった。<br />
<img src="images/IMG_1651-s.jpg" width="300" height="211" alt="interior design show" class="pict" /><br />
先月小澤さんが再度ルワンダに来られた際に、１５の組合に属する女性たちの代表者たちを呼び、キガリ市と共同でワークショップを開催した。<br />
<img src="images/resize6817.jpg" width="320" height="213" alt="basket workshop" class="pict" /><br />
今回のワークショップの主たる目的は、バスケットの日本市場での反応を紹介した上で、さらにバスケット作製にあたって品質向上のための課題の確認を行う一方、織り子の女性たちのこれまで行った品質の安定性と向上への努力の報告と私たちのオーダーにより生活がどのように変化したかについての報告を聞くことだった。<br />
<img src="images/resize6818.jpg" width="320" height="213" alt="basket workshop2" class="pict" /><br />
織り子の女性たちは、正直自分たちの製品が日本で売れることをあまり期待しておらず懐疑的だったようだが、日本市場での高反応を聞いて、少し自信がもてたようだった。日本市場で売れるということが確認できて、一層頑張ろうという意識になれた女性たちの様子を伺うことができた。<br />
特に私たちが嬉しくも驚きながら聞いたのが、これまでのオーダーによる生活の変化である。今までは１５の組合のでき具合に差があり、納入されるところとされないところがあった。特に上手につくる女性たちがかなり収入を向上させ、彼女自身や家族の生活向上に役に立っているようだ。<br />
ある女性は、このプロジェクトを始めたばかりのころは、まともに食べれず、子供たちを学校に行かせても食べ物も必要な道具も与えることができず、家の家賃も払えないので、家を追い出されたりすることもあり、精神的にもつらく病気がちだったそうだ。それが、このビジネスを通じて、収入が向上し、衣食が得られるようになっただけでなく、子供たちを学校に行かせるための制服、テキストやノート購入費用、家賃などが払えるようになり、近所の女性から顔色がよくなったねといわれるようになったそうだ。<br />
織り子の女性たちは、夫がいないケースが多く、彼女たちが家族を支えざるを得ない状況なので、安定した収入が得られるようになったことが大きいのだろう。他にも姉妹の教育のサポートができるようになったり、香水が買えるようになった上で、彼氏も出来た女性の話もあった。<br />
<img src="images/IMG_1920-s.jpg" width="300" height="200" alt="Weavers happy voice" class="pict" /><br />
前回７月にワークショップを行ったが、４か月の間にこんなにも生活に変化をもたらし、彼女たちの生き生きした表情をみることが出来たのは、期待していた展開とはいえ、大変嬉しいことだった。<br />
今後このビジネスを通じて実現したい目標などを聞くと、お金をためて「家を建てたい」という声が多く聞かれた。より前向きな目標をもてるようになったのは彼女たちの自信回復の現れでもあるのだろう。<br />
<img src="images/resize6819.jpg" width="320" height="213" alt="after the workshop with weavers" class="pict" /><br />
こうした生活の変化をより多くの女性たちが享受できるように、まだ生産能力が高くない組合の女性たちの技術を向上させるための研修を行うことにした。<br />
<img src="images/resize6826.jpg" width="320" height="213" alt="training" class="pict" /><br />
ものの流行りすたりが激しく、かつ高品質が求められる日本市場で継続して販売していくのは簡単ではない。市場のニーズも見据えながら商品開発を進めていくことが今後求められていくと思うが、ビジネスを通じて継続的に織り子の女性たちの自立支援、自信回復を間接的に促し、対等なパートナーシップを築くことができればと思う。<br />
]]></content></entry><entry><title>バナナ繊維プロジェクトその後</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1147720" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1147720</id><issued>2010-01-10T22:43:11+09:00</issued><modified>2010-02-11T09:16:02Z</modified><created>2010-01-10T13:43:11Z</created><summary>Banana fiber projectが少しずつルワンダでも知られ始めている。用途がほとんどない収穫後のバナナの幹からとれる繊維を活かして様々なバナナ繊維製品を創出しようというプロジェクト。２００８年の１１月からルワンダで始まった。ルワンダだけで、バナナの生産量は、年間...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (環境活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[Banana fiber projectが少しずつルワンダでも知られ始めている。用途がほとんどない収穫後のバナナの幹からとれる繊維を活かして様々なバナナ繊維製品を創出しようというプロジェクト。２００８年の１１月からルワンダで始まった。ルワンダだけで、バナナの生産量は、年間2.5百万トンほどあり、１本のバナナの幹からとれる繊維はわずかなものの、年間1,500トン以上の繊維を採取することが可能である。これらの潜在的な繊維を活かせば、バナナ農家の新たな収入源になるだけでなく、様々な製品開発によりバナナ繊維産業を確立することにつながる。それにより、関連技術者や雇用の創出が生まれる。<br />
バナナ繊維の活かし方は、服地など布地化を始めとして、工芸品や紙製品、生理用ナプキンの吸収剤、建築用資材など可能性がいろいろとある。<br />
布地化を実現するには、ルワンダでは課題があった。バナナ繊維を綿などと混ぜるにはバナナの繊維を混ぜられる程度に開繊し、軟化する必要があるのだが、まだ地元の繊維会社ではその適切な技術を見いだせていなく試行錯誤している。<br />
一方、2008年10月に多摩美術大学のバナナテキスタイルのチームが来られ、バナナテキスタイル技術の紹介だけでなく、バナナの繊維（不織布や紡ぎ糸）を使ったバッグやランチョンマットなどの実習を行い、参加者に大変好評を得てバナナ繊維プロジェクトのルワンダでの始動となった。しかし、その後、研修生が自分たちで工芸品を作る方向へは、道具や紡ぎ糸が手に入らないなどの問題で進んでいなかった。<br />
そこで、バナナの繊維を抽出した後、紡ぎ糸にせずとも手工芸品を作る方法を身に着けバナナ繊維手工芸品の開発につなげるため、インドからバナナ繊維をつかった手工芸品の指導に携わっている講師に来てもらい研修を行うことにした。<br />
ルワンダ国内のすべての州からなんらかの手工芸品制作の活動に携わっている経験者を２０人集め、１２月の上旬から１０日間、研修を行った。<br />
繊維の抽出、染色、組み紐づくり、そして様々な製品を作る実践演習を行った。<br />
<img src="images/PC070307s-.jpg" width="300" height="225" alt="banana fiber extraction" class="pict" /><br />
<img src="images/PC070313-s.jpg" width="300" height="225" alt="banana fiber extraction2" class="pict" /><br />
<img src="images/PC070323-s.jpg" width="300" height="225" alt="braiding practice" class="pict" /><br />
<img src="images/PC080375-s.jpg" width="300" height="225" alt="dying material dry" class="pict" /><br />
<img src="images/PC090401-s.jpg" width="300" height="225" alt="braiding practice" class="pict" /><br />
バナナ繊維は初めてあっても手工芸品制作のプロセスは理解している参加者がほとんどだったので、研修は比較的スムーズに進んだ。<br />
<img src="images/PC130466-s.jpg" width="300" height="225" alt="group work" class="pict" /><br />
最初はいくつかのグループに分かれて、ある特定の製品をグループで役割分担しながら作る演習を行い、そのあとは、参加者のそれぞれが個人の作品をつくってもらい、よい作品を作った参加者には賞品を贈呈することにした。<br />
<img src="images/PC130469-s.jpg" width="300" height="225" alt="bag sample" class="pict" /><br />
結果としてそれがいい刺激剤になり、参加者の中には、寝る時間を惜しんで作るものもいた。<br />
１０日間という短い期間で様々な形のショルダーバックやマット、草履、テーブルマット、ボトル入れ、人形や小鳥の置物などが制作された。<br />
<img src="images/PC110429-s.jpg" width="300" height="400" alt="bottle carrier bag" class="pict" /><br />
<img src="images/PC150504-s.jpg" width="300" height="225" alt="banana sandals" class="pict" /><br />
<img src="images/PC160545-s.jpg" width="300" height="225" alt="individual products" class="pict" /><br />
<img src="images/PC160550-s.jpg" width="300" height="225" alt="individual products2" class="pict" /><br />
もちろん商品として売っていくには、さらに製品の精度を上げて、よりセンスのよいものに仕上げていく必要があるが、最初の試みとしては、参加者が納得のいく内容になったのではないかと思う。個人作品の作製にあったって講師が教えずとも参加者が自分たちで考えて、オリジナリティーのあるものが出てきたのは意外だったが、今後の製品づくりに期待がもてるものとなるだろう。<br />
<img src="images/scan0001-s.jpg" width="300" height="231" alt="group photo with all participants and organizers" class="pict" /><br />
その後フォローアッププログラムとして研修会直後に研修を受けたトレーナーのところをいくつか回り、すぐに身につけた技術を組合仲間に伝え始めているか、指導にあたって何か課題がないかなどを見に行った。組合の中には、習った技術を仲間に伝えるだけでなく、アクセサリーなど新商品開発をし始めているところもあった。<br />
<img src="images/PC240061-s.jpg" width="300" height="225" alt="banana fiber earring" class="pict" /><br />
一方、適当な針、製品作成に必要な糸そして糸きりばさみなどの入手が難しいといった課題があり、今後トレーナーが住む地域の周辺で、そうした道具を入手できるようにする流通ルートの開発が必要と思われる。トレーナーとなった研修生たちが地元に戻って技術を伝えながら改善する努力を随時見守りながら、必要であれば、デザイン力をつけながら製品を完璧に仕上げる研修を検討しようかなと思う。<br />
<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>オフィスは７時始業、金曜日の午後はスポーツデー</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1135569" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1135569</id><issued>2009-12-10T23:25:24+09:00</issued><modified>2010-01-10T17:21:01Z</modified><created>2009-12-10T14:25:24Z</created><summary>もう数か月も前からだが、ルワンダの全ての政府機関の始業時間が７時からになった。以前は、政府機関の中でも７時からのところと８時からのところがあり、終了時間も３時半のところから５時までのところとあったのだが、大統領の鶴の一声か、すべての政府機関が７時から始...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[もう数か月も前からだが、ルワンダの全ての政府機関の始業時間が７時からになった。以前は、政府機関の中でも７時からのところと８時からのところがあり、終了時間も３時半のところから５時までのところとあったのだが、大統領の鶴の一声か、すべての政府機関が７時から始業、５時終了となった。単純にいえば、始業が早くなった上に終了時間が変わらないため、労働時間が延びたことになる。一方、以前は、金曜日まで仕事があったのだが、金曜日の午後は、スポーツ活動をするための時間となり、基本的には休みとなった。したがって、このスポーツデーの時間を考慮すると以前とあまり実質労働時間は変わらなくなる。<br />
<br />
なぜ始業時間が早くなったのか、聞くところによれば、ルワンダは東アフリカ共同体（ケニア、ウガンダ、タンザニア、ブルンジ、ルワンダ）に入り、ケニア、ウガンダなどは、１時間時間が早いということから東アフリカ諸国との会合ややりとりを考慮して早い始業となったようだ。<br />
しかし７時始業となると当然もっと早くからオフィスへ行く支度をしなければならない。ご飯の支度もあるので私は５時半起きだ。早朝にメールをチェックをしたり、ニュースを見てから、本格的な支度を始める。オフィスまでは車で１０分程度なので間に合うように支度をするのだが、いつも直前にばたばたしてしまい、７時ちょっとすぎに出ることが多い。<br />
<br />
日本にいる時から夜明けとともに目覚められる体内時計で生活していたので、目ざましは必要がないのだが、５時半に起きるようになると、問題は、夜がすぐに眠くなってしまうことだ。夕食を遅くとも９時ぐらいまでには食べるようにしているのだが、夕食を食べて一息つくと眠くなってしまい、あまり夜に作業や活動ができなくなる。外で会合やパーティーがあっても、遅くまでいるとかなり眠くて辛いので、自然と早く切り上げるようになってしまう。この間も国連関係の職場で働いている女性（国際組織は８時頃始業）と食事をしたが、ちょっとワインを飲もうものならあっという間に眠くなってしまい、途中から話を聞きながら半分寝てしまうという事態になってしまった。<br />
赤道直下にあるルワンダは、年間を通してだいたい５時半すぎからすこしずつ日が明け、夕方６時には日が沈む。日没後、東京だとまちが明るいし、家の中も明るい。さらにテレビ番組の種類がいろいろあるということもあり、どうしても夜遅くなりがちだが、こちらだと日が暮れると街が暗くなり、テレビの地上波は、主としてルワンダＴＶしかないので、衛星に加入しない限りは、テレビを見ることもまれで、あまりやることがないのですぐに寝てしまうということもあるかもしれない。<br />
<br />
さて、７時始業となって何か仕事の効率性や生産性が上がったのかと言われれば、はっきり言ってなんの変化もない。特にルワンダ人の同僚は、小さい子供がいる人たちが多く、子供たちを送ってから７時にオフィスに来るのは至難の業である。（学校も早くて７時始業）。学校に入る前の子供については、ある程度の収入がある家庭だとみんなhouse boy かhouse girlを雇っていて彼らに面倒を見させるのが常識となっている。<br />
しかし朝、出勤したら帳簿に時間を明記してサインをしなければならないこと、またどうもそれらの組織全体の出勤状況を上部組織（関係省庁）に報告しなければならないこともあり、意外とみんなまじめに７時１０分までにはほとんど出勤している。しかし、前述したように仕事の生産性の向上につながっていはいない。なぜならば、いろいろなところで効率の悪い意思決定、無駄なプロセスがあるためだ。特にびどいのが物品調達やワークショップや会議実施の際のケータリングサービスの契約、支払いについてだ。例えば、名刺の調達。日本であれば、ネットで注文したら、遅くとも３日以内には、宅配で手元に届く。しかし、私の場合、なんと組織の長のサインを９月上旬にもらったにも関わらず、今だ名刺ができないのである。この名刺の調達プロセスには、調達部門と人事部門がかかわるようだが、彼らの間でのコミュニケーション不足か何かで私の名前のリストが人事部門の名刺注文のリストから漏れたらしく、１０月半ばに休暇からオフィスに戻ってきたときに問いただすとそのような説明を受けた。それからまたさらに２か月が経過。私の方では、１２月にインドから専門家を呼んでバナナ繊維を使った工芸品のワークショップを開くことになっていて名刺が必須だったにも関わらずワークショップ開催までには名刺が準備されることはなかった。待っているのがあまりにばかばかしくて自分で手作りの名刺を後に１時間でつくったが、なぜそんなに無駄な時間をかけて物品調達の手続きをしているのか皆目見当がつかない。<br />
今回、ワークショップの開催をしていかに調達部門、財務部門が無駄な手続きにえらい時間をかけていることがわかったが、その一つの原因はルワンダで厳しく行われている会計監査である。とにかく調達、財務、人事も含めて、外部による会計検査をパスできるか、というそれだけを念頭において仕事をしているため、非効率この上ない手続きになってしまっている。会計検査で指摘をされると組織トップの首が飛び、担当者も刑務所に送られてしまう恐れがあるため、それらに関わる担当者は、びくびくしながら仕事をしている。実際、この１年でも省庁のレベルから地方自治体のレベルまで、汚職が発見されるとすぐさま、大臣がつかまり、裁判沙汰になり、刑務所に送られる結果になるものがある。場合によっては直接刑務所というケースもあるらしい。（防衛省の職員が、大量のTata製のトラックを調達し、粗悪だったため刑務所に入れられたケース）調達に関しても下手をすると外国の会社（つまり外国人も）も巻き添えになるから注意が必要だ。汚職、腐敗の防止に力を入れているルワンダは、政府組織に対してかなり厳しいチェックを入れている。組織内にはそうした汚職の防止を促すステッカーが貼られている。<br />
<img src="images/Image001-s.jpg" width="240" height="300" alt="corruption prevention poster" class="pict" /><br />
こうした方針が功を奏して腐敗認識度ランキングでは東アフリカでトップになった。<br />
http://media.transparency.org/imaps/cpi2009/<br />
<br />
しかし他方、組織の意思決定が非常に時間を要し、慎重になる結果となっている。現実的な業務の効率性や生産性を考慮すると、（たとえば、プロジェクトの実施計画に従って、予定を実施したくてもこうした手続きの問題のために大幅に遅れてしまうことや、関係者に非常に迷惑をかけること（支払が遅れるなど））もう少し簡易な調達システム（三者見積もりが必要な額や入札が必要な最低額を上げるなど）が必要だろう。<br />
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]]></content></entry><entry><title>キガリ市内の開発と民家の解体・移転</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1113716" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1113716</id><issued>2009-11-05T00:22:59+09:00</issued><modified>2009-11-21T19:07:47Z</modified><created>2009-11-04T15:22:59Z</created><summary>ルワンダに来てから、２年以上がたつが、その間に街並みが刻々と変化してきた。丘の上にあるキガリ市の中心街に１年以上前だったか、１つ出来て目立つなと思っていた大型広告スクリーンが街中だけでなく、空港まで行く主要道路沿いに最近までに３つぐらいぽこぽこと新たら...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (日常生活）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダに来てから、２年以上がたつが、その間に街並みが刻々と変化してきた。丘の上にあるキガリ市の中心街に１年以上前だったか、１つ出来て目立つなと思っていた大型広告スクリーンが街中だけでなく、空港まで行く主要道路沿いに最近までに３つぐらいぽこぽこと新たらしいものが出来た。いくつかの大型の商業施設や建物やビルゲイツが投資をしているといわれている多目的会議場の建設も少しずつ進められている。商業やオフィス施設などは中国の建設会社が関わって建てているものも多い。<br />
<br />
こうしたものの建設にあわせて、主要道路沿いから見えるところにあったトタン屋根でひしめきあって建っていたルワンダ人の家の集落が次々と壊され、移転させられている。<br />
<img src="images/resize6738.jpg" width="320" height="240" alt="Kiyovu demolish2" class="pict" /><br />
主要道路ぞいからの見栄えをよくするのは政府の方針のようだが、こうした土地を買い取っているのは地元の大手保険会社だったり、海外の投資家だったりする。<br />
<img src="images/resize6724.jpg" width="320" height="240" alt="demolish our neighbor's house1" class="pict" /><br />
我が家があるところは、新興住宅街のエリアだが、うちからすぐ下に見えるところには、たくさんのトタン屋根のルワンダ人の民家があったが、ここ数カ月の間にみんな壊され移転させられてしまった。<br />
<img src="images/resize6732.jpg" width="320" height="240" alt="demolish our neighbor's house3" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6731.jpg" width="320" height="240" alt="demolish our neighbor's house2" class="pict" /><br />
我が家の上の方の向かいは、タウンハウス群が立ち並んでいるのだが、唯一隣の家だけ小さな民家があり、近所なので、挨拶したり、隣からアボカドをもらったりしたので、こちらもメイズを知り合いからもらった時に分けたりして、ルワンダ人の家族とささやかな交流をしていた。しかし、この家族も最後まで移転費用等の問題で抵抗したが、最後は修正された補償金でしぶしぶ納得し、移転しなければならなくなったらしく、彼らがいなくなるのも時間の問題となっている。周りで唯一残っていたルワンダ人の隣人がいなくなるのかと思うとさびしい気持ちになってきた。<br />
<img src="images/resize6733.jpg" width="320" height="240" alt="demolish our neighbor's house 4" class="pict" /><br />
撤去された後の土地には、保険会社が新たに学校と病院そして住宅を建てるらしいとのうわさが広がっている。街中に近い方の集落が移転させられた時には、土地の買収価格、移転補償が十分ではないとの苦情が集落に住んでいたルワンダ人からかなりあげられマスコミにも多々取り上げられるなど問題となっていた。<br />
うちのエリアの集落の場合は、あまり噂が聞こえてこなかったが、隣のうちなどは、最後まで抵抗していたようなので、補償金の問題は今回もあったようだ。<br />
補償金は、こうして追い出された人たちが新たに住む場所を確保するのに使われるのだが、そう簡単ではない。Umuduguduという新しい密集した住宅地区がキガリの中心部から離れたところや郊外に少しずつ作られているが、そういうところに移るか、新たに確保した補償金の範囲内で借りれるところを見つけるしかないようだ。特にまちの中心部に住んでいた人たちにとっては交通の便の悪いところに引っ越すことになるケースが多く新生活は容易ではなさそうだ。<br />
こうして新しい住宅とルワンダ人の民家との混在していた街並みがなくなり、新しい住宅開発によって跡形もなくなってしまうかと思うとさびしいだけではなく、歴史が消されるようでもったいない気持ちがしてしまうものだ。<br />
<img src="images/P5220013.jpg" width="300" height="225" alt="local people's house" class="pict" /><br />
これは、開発の過程において必然なものなのかもしれないが、こぎれいな住宅だけに囲まれる街ははたして心地よい、そして安全なものとなるのか見えてこない。<br />
一方、日本の古い町並みが残っているところには、たとえ狭苦しく立ち並んでいても、また狭い小道しか通路がなくても、そこにいるとなにか安心感があり、ほっとするものを感じさせる。<br />
しかし、人々が住んでいる建物の構造や質がそもそもよくない住宅を残すことに意味があるのかという疑問もあるのかもしれない。建造物の歴史が浅いせいか民家のつくりはみな同じようで、日干し煉瓦と土壁という簡素なものだ。それでも、そうした家々がすべて一掃されてしまうと歴史的な建造物がなくなり、街があまりにも様変わりしてしてしまうだろう。<br />
なんとか街づくりを担う人たちがそのあたりの観点も考慮してルワンダらしい要素を残しながら開発を進めてほしいものだ。<br />
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]]></content></entry><entry><title>ルワンダの廃棄物処分場をとりまく人たち</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1093057" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1093057</id><issued>2009-09-15T18:19:41+09:00</issued><modified>2009-10-10T10:49:13Z</modified><created>2009-09-15T09:19:41Z</created><summary>ルワンダの首都キガリの郊外の丘の上にキガリ唯一の廃棄物処分場がある。

といってもただこれといった手法もなく適当に積み上げているだけのゴミ捨て場。浸出水の処理施設もない。日本では谷底に処分場をつくるのが一般的だが、丘の上にあると、丘の下方にある住宅への...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (環境活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダの首都キガリの郊外の丘の上にキガリ唯一の廃棄物処分場がある。<br />
<img src="images/P7280182.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza5" class="pict" /><br />
といってもただこれといった手法もなく適当に積み上げているだけのゴミ捨て場。浸出水の処理施設もない。日本では谷底に処分場をつくるのが一般的だが、丘の上にあると、丘の下方にある住宅への汚水の影響、地下水への影響などが心配される。持ち込まれるゴミは、有機物がほとんどだが、量にして１日100トンから300トン。キガリ市の人口は約100万人近いので、一人当たりのゴミの排出量は、0.1-0.3kgとなる。日本人の平均ゴミ排出量は、一人当たり１日1.1ｋｇとされているので、それに比べれば、その1/3以下ということになる。そう考えれば、キガリにおけるゴミの排出量はだいぶ少ない。さらにビニール袋の流通は禁止なので、その分かさばる買い物袋の廃棄物は少ないようにみられる。<br />
<img src="images/resize6286.jpg" width="320" height="213" alt="Nyanza3" class="pict" /><br />
そうはいうものの、持ち込まれる有機物の処理がされていないので、当然臭気がかなりする。雨季になるとさらに深刻となる。一方乾期はたまったメタンガスが火を噴いたり、爆発の危険性が高まる。このような状態の中、この処分場を修復しながら、きちんとした処理をするための新規処分場建設プロジェクトが始動しつつある。夫の方がそのプロジェクトを企画、進行している。<br />
自分も日本で働いていた際には廃棄物処理施設の新規建設プロジェクトに携わったこともあったことから関心があったので、夫とともに現地に何度か足を運んだ。かつて東京中央防波堤処分場はもちろんのこと、全国の様々な処分場や中間処理施設にいったこともあるが全く処理されていない処分場の中を歩くというのは初めてのことだった。歩くと今まで見たことがない風景が広がっていた。<br />
<img src="images/P8300093.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza smoke" class="pict" /><br />
すでに１年以上前に１回見たことがあるが、これだけじっくり歩いてみたのは初めてだった。じりじりと照りつける太陽の下でかつ乾期ということもあり、臭気はなんとか我慢できるものの、あちらこちらに煙が出ていて危険な状態だった。<br />
<img src="images/P8250010.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza6" class="pict" /><br />
ここにいる労働者は７０人余り。三本鍬のようなもので入ってきたゴミを均すのが主な仕事だ。<br />
<img src="images/P8280013.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza labors" class="pict" /><br />
こんな状態の中で大人だけでなく子供まで物によってはスカベンジャーをしている姿が見受けられる。<br />
<img src="images/resize6277.jpg" width="320" height="213" alt="Nyanza1" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6280.jpg" width="320" height="213" alt="Nyanza2" class="pict" /><br />
小さな子どもを抱えた女性までいた。日本にいたころフィリピンのスモーキーマウンテンの映画を見て、深刻な問題だなと思ったが、似たような処分場に足を運び、大量のハエが飛び交ってぶんぶんとした音の中で歩いたら、まさにその映画の撮影現場にいるような気持になった。<br />
それにしてもここで働く労働者は、ほんとうにたくましい。有機物が多いとはいえ、危険なものも捨てられている。<br />
<img src="images/P7280195.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza Injection needles" class="pict" /><br />
注射針などに刺されてしまう事故も起きている。<br />
<img src="images/P8300105.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza labor house" class="pict" /><br />
しかも彼らはこの現場で寝泊まりしているのだ。こんなところで日々生活したらどんなに健康が侵されるかと心配になるが、この処分場の修善と視察にこられた福岡大学の先生にいわせると、意外にもこうした処分場で生活している人とそうでない人との健康診断をしたら、処分場で生活している人の方が健康状態が良いという調査結果もあったそうだ。それはなぜなのか？悪臭を吸っていろいろな抗体を体の中に自然と作り出したからなのか、不思議な話である。しかし注射針やガラス片などによって怪我をしたりするケースも少なくないので、決して健全な仕事でないことは明らかである。<br />
<br />
ある日、彼らを観察していて驚いたことがある。お金に替えられそうなペットボトルなどの回収、金属類の回収に熱心な子供たちだけでなく、食べ物の残りを見つけてはそれを食べてしまう子供たちがいたことである。たまたまマヨネーズの瓶の中に入っていた残りをなめながら食べている子供を見たときには唖然としてしまった。そんなことはしてはいけないと日本人なら誰でも思うのだろうが、お腹をすかしているのかその子供は平気な顔をして食べている。<br />
<img src="images/resize6311.jpg" width="320" height="213" alt="Nyanza4" class="pict" /><br />
さらにいえば、ここで働く人たちだけが大変なのではない。ここの処分場を通らないと生活できない人々がいることだ。乾期は特にそうだが、水の確保は家に水道がない市民にとっては大変な仕事である。この処分場の近隣に住む人々は、この処分場を通ってわざわざ毎日水を汲みに行っている。これも大変な作業である。<br />
私たちは、この国で一応水道的なものがついている家に住んでいるが、同じ国に住んでもこれだけ生活スタイルの違いがあるのがこの国の現状である。むしろ後者がまだ国民のほとんどを占めているのだ。またこうした仕事を担っているのは、決まって女性と子供である。<br />
<img src="images/IMG_2851.jpg" width="300" height="225" alt="Nyanza5" class="pict" /><br />
その後また廃棄物処分場に車で来た時、今回は外に出ないで中で夫を待っていたら、そこで働く若い男の子たちが数人寄ってきて、電話番号を教えてくれとか、友達になろうといったポーズをとってきた。こんな大変な仕事をしていても笑顔で接する彼らの精神力？には敵わないなと思った。<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>ルワンダと日本を結ぶ懸け橋ビジネスその３：現場を回って</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1089039" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1089039</id><issued>2009-08-20T11:02:11+09:00</issued><modified>2009-10-04T12:45:26Z</modified><created>2009-08-20T02:02:11Z</created><summary>ようやく日本に初オーダーの商品が到着してまもなく、日本の新会社Ruise Bの小澤さんが、ぜひ現地を見たいと願っていたルワンダにやってくることになった。本ビジネスの促進のためにJETROの支援を得たことからJETROの担当者も数日同行されることに。こちらでは、現地での...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ようやく日本に初オーダーの商品が到着してまもなく、日本の新会社Ruise Bの小澤さんが、ぜひ現地を見たいと願っていたルワンダにやってくることになった。本ビジネスの促進のためにJETROの支援を得たことからJETROの担当者も数日同行されることに。こちらでは、現地でのスケジュールを立て、受け入れ側とも調整をつけて準備を進めた。そして７月の末から日本の訪問団が到着した。<br />
<img src="images/resize6046.jpg" width="320" height="213" alt="Visitors" class="pict" /><br />
今回の訪問の主たる目的は、バスケットをつくる生産者の現場を見ること、今後の取引をスムーズにするため、今回オーダーした商品における課題を直接生産者に説明し、理解してもらうことだった。<br />
そのため、今回商品製作の担い手となるキガリ市内の16の組合の生産現場を直接訪れるとともに、それぞれの組合のリーダー各を中心に集めたワークショップを開き、日本で商品が売れるようにするためにはどういうことに気をつけたらよいのかということを中心に季節感や商品に対する独特の日本人の見る目や市場の特徴を説明した。<br />
<img src="images/resize6117.jpg" width="320" height="213" alt="Workshop1" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6152.jpg" width="320" height="213" alt="Workshop2" class="pict" /><br />
こちら側だけが一方的に話すだけでは自分のこととしてとらえられない可能性もあるので、こちら側が指摘した課題（染色の安定性の確保、商品の質の確保、生産性の向上）について、生産者同士で話し合って、課題の解決策を話し合ってもらい、発表してもらう場も設けた。<br />
<img src="images/resize6166.jpg" width="320" height="213" alt="Workshop4" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6169.jpg" width="320" height="213" alt="Workshop5" class="pict" /><br />
その結果、最後には、生産者の顔は真剣さと希望にあふれたものになった。<br />
<img src="images/resize6122.jpg" width="320" height="213" alt="Workshop3" class="pict" /><br />
当日のワークショップには、ルワンダＴＶ，ラジオルワンダ、唯一の英字新聞のNEWTIMESなどマスコミも駆けつけ、取材が行われ、ＴＶや新聞に掲載された。こうして２週間弱かけて生産現場とキガリ以外の生産者も比較のために訪れて、サンプル商品などを買って無事予定スケジュールをこなすことができた。<br />
<img src="images/resize6133.jpg" width="320" height="213" alt="TV 取材" class="pict" /><br />
ワークショップ後もRuise Bの小澤さんは、現場を精力的に回って生産者の女性がバスケットを織っているところや原材料や染色の工程などを丁寧に確認し写真に収めるだけでなく、生産者の家を訪れたり、織り手の女性たちの子供たちが通う学校などにも足を運び生活状況の理解につとめていた。<br />
<img src="images/resize6517.jpg" width="320" height="213" alt="サイザル麻の繊維抽出" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6244.jpg" width="320" height="213" alt="生産工程の確認" class="pict" /><br />
<img src="images/resize5969.jpg" width="320" height="213" alt="生産者たち１" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6022.jpg" width="320" height="213" alt="織り手の自宅" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6026.jpg" width="320" height="213" alt="織り手の自宅周辺" class="pict" /><br />
百聞は一見にしかず。やはり実際に生産現場を見て、生産者と直接やりとりしたことで本ビジネスの進め方を相互に理解し、今後日本の購買者に生産者の様子を発信していくのに役立ったことと思う。<br />
<br />
ルワンダにある生産現場は、日本から見れば、はるか遠い地球の反対側にあるため、販売者にとってはなかなか消費者へメッセージを伝えるのが難しいところだが、こうして現場を直接見たり、私などが現場の情報をさらに伝えることで補えるのではないかと思っている。<br />
私たちは、生産者と対等に取引していくことを目指している。大事なことはこのビジネスが一過性に終わらないこと。持続的なビジネスを確立することで、このビジネスで得た利益を生産者の女性たちやその子供たちに還元し、一人でも多くの彼らの笑顔を見れるようにしたいと思っている。<br />
<img src="images/resize6222.jpg" width="320" height="213" alt="生産者の子供たち" class="pict" /><br />
<img src="images/resize6390.jpg" width="320" height="213" alt="生産者の現場２" class="pict" /><br />
<br />
商品を入荷したRuiseBのサイトはこちら。選ばれたバスケットは、とても美しいユニークなデザインばかり。よかったらご覧ください！<br />
http://www.ruiseb.jp/<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>ルワンダと日本を結ぶ懸け橋ビジネスその２：課題の発見</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1068523" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1068523</id><issued>2009-07-20T18:26:04+09:00</issued><modified>2009-09-02T06:53:00Z</modified><created>2009-07-20T09:26:04Z</created><summary>最初の注文をとってからがかなりやっかいなことになった。もともと予定では、ルワンダから１か月程度で３００ぐらいの商品を日本のRuise Bに納入することになっていた。以前こちらでバスケットのサンプルを見て、バスケットの大きさ、デザインにばらつきがあったことから...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (その他活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[最初の注文をとってからがかなりやっかいなことになった。もともと予定では、ルワンダから１か月程度で３００ぐらいの商品を日本のRuise Bに納入することになっていた。以前こちらでバスケットのサンプルを見て、バスケットの大きさ、デザインにばらつきがあったことから商品の製造基準を作り、さらに選んだ商品のカラー写真を送り、それをキガリ市が印刷、それにならって作ってもらうことになっていた。<br />
<br />
しかし、予想した以上に生産体制が整っておらず、思うように生産がはかどらないことがわかった。<br />
パートナーであるキガリ市のプロジェクト担当マネジャーとやり取りしながら原因を探っていくと生産工程に課題があることがわかった。<br />
まず、製品を作り始める前に、必要な量の原材料を調達し、原料を染色しなければならないこと、これに１週間弱かかり、さらにバスケット１個につき、最低５日ぐらいかかる。１６の組合にわけて注文した製品を生産してもらったが、予想以上に時間がかかった上、注文した品が常に同じ品質でできてこなかった。<br />
<img src="images/IMG_7218-s.jpg" width="200" height="300" alt="dyeing3" class="pict" /><br />
毎週金曜日に出来てきた製品をキガリ市のプロジェクトマネジャーとともにチェックすることにした。まき尺を使って、高さや幅をはじめとして、とっての付け場所、仕上がり具合、デザインの一致などを確認した。<br />
自分の目でチェックし始めて明らかになったこと。カラープリンターで印刷されたバスケットの写真と大きさその他の基準を書いたメモにのみ基づいて作っていたせいか、出てきたものが必ずしも色に一貫性がなかったり、デザインが微妙に異なっていたり、線が入っているものが入ってなかったり、または入っていても１本だけだったりなど細かくいえば、いろいろ課題があった。<br />
<img src="images/IMG_0504-s.jpg" width="300" height="200" alt="products checking1" class="pict" /><br />
今回初出荷とはいえ、日本で売るからには、日本人が許容できる範囲での誤差でないとまずいだろうとの観点から、生産者にとっては厳しいかも知れない指摘をし、大きさ、色など基準に満たないもの、一貫性がないものは、購入をせず、どこに問題があるのか、どこを修正したらいいのかを逐一説明し、やり直しをお願いした。生産者も改善点を受け止め、制作時に一層注意をするようになった。<br />
<img src="images/P4170001-s.jpg" width="300" height="225" alt="producers 1" class="pict" /><br />
こうした甲斐あってか、毎週ごとに少しずつ購入拒否の量が減ってきた。初回ということもあり、若干課題があったところも大目に見て購入し、日本に送ることにした。<br />
<br />
日本へ送るに際し、輸送会社に持っていく作業、梱包作業などを終えて、税関にもっていく作業などが結局、土日を挟んだこともあり、予想以上に時間がかかって４日後に荷物が発送された。荷物発送後は、日本に５日以内に到着したので、意外とスムーズだったが、そのあとの特恵関税の手続きに問題が発生した。こちらで担当の政府機関に足を運んで取得した特恵関税を得るための原産国証明書が所定のものと違うので受け付けられないというのだ。こちらは、原産地証明書をとるための書類はどれかと尋ねてこれだというのでそれでとったのに、日本では受け付けられないという事態。あとからこちらで問題を担当省庁の人に再度訪ねたところ、ようやく担当者が問題を理解し、「そのフォームなら別のところに行って頼めばとれる。まさか日本がそのフォームが必要だとは思わなかった。ヨーロッパやアメリカでは必要なんだけども。」といった。日本との貿易が頻繁でないから起こる問題なのか、担当者が全くその条件を知らなかったのにはちょっと失望した。<br />
手続きのイロハについても証明書を出す側が理解してなくて、申請する側が足しげく通ったり、日本へ問い合わせたりして調べないといけないというのがやっかいだ。<br />
<br />
こうして日本側から注文が来てから予定の倍以上、３か月近くかかって製品が完成し、日本に到着したのである。<br />
<img src="images/IMG_0180-s.jpg" width="300" height="200" alt="products arrival" class="pict" /><br />
<br />
<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>ルワンダと日本を結ぶ懸け橋ビジネスその１</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1059687" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1059687</id><issued>2009-07-17T23:45:26+09:00</issued><modified>2009-08-27T17:39:52Z</modified><created>2009-07-17T14:45:26Z</created><summary>ルワンダと日本を結ぶ懸け橋ビジネスとは、ルワンダの伝統的な工芸品であるAgasekeといわれる伝統的かつユニークな形をしたバスケットとPlatoといわれる色とりどりのバスケットを日本に紹介するもの。もともとAgasekeは、女性が大切なものをしまっておく入れ物として使わ...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (その他活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダと日本を結ぶ懸け橋ビジネスとは、ルワンダの伝統的な工芸品であるAgasekeといわれる伝統的かつユニークな形をしたバスケットとPlatoといわれる色とりどりのバスケットを日本に紹介するもの。もともとAgasekeは、女性が大切なものをしまっておく入れ物として使われてきたため、新婦への贈り物として扱われてきた。また特別にデザインされたものは、王室への貢物にもなった。<br />
<img src="images/R-basket.jpg" width="167" height="204" alt="agaseke" class="pict" /><br />
一方Platoは、Agasekeに比べると歴史が浅いものの、果物などを入れる入れ物や壁に飾る掛物として使われてきた。特にジェノサイド後は、ルワンダ女性の再生と和解と平和構築の象徴になったことからピースバスケットとも呼ばれている。材料は、主としてサイザル麻を使いバスケットの中見は、Ishingeという草を使っている。他の草を使って作る方法もあるが、サイザル麻の方がしっかりときれいに仕上がる。<br />
<img src="images/Cresent.jpg" width="167" height="204" alt="basket 1" class="pict" /><br />
<img src="images/flower-s.jpg" width="250" height="190" alt="basket 1" class="pict" /><br />
<br />
きっかけ<br />
昨年の５月末に日本でアフリカ開発会議(TICAD IV)が開かれたのだが、それと並行した催し物としてアフリカンフェアが開催された。アフリカ各国の文化や工芸品などを紹介する展示が行われたがその時にルワンダのブースが結構人気あったようだ。コーヒーなどの主要産物への関心もさることながら、それ以上に目を引いたのが、ルワンダの色とりどりのバスケットだったようだ。<br />
<img src="images/02-s.jpg" width="200" height="300" alt="African fair" class="pict" /><br />
ルワンダブースに立ち寄ったある女性が大変このバスケットを気に入り、なんとかこれを日本に紹介するビジネスができないかと真剣に考え始めたのがめぐりめぐって私がこの方と一緒に仕事をすることになるきっかけとなった。<br />
<br />
その後、この女性がこのビジネスを始めたいが、ルワンダで協力してくれる現地のパートナーはいないかと探し始め、初め夫の方に連絡があり、そのあと私が結果的にはパートナーとして動くことになった。それから、少しずつビジネスを立ち上げるための準備にとりかかった。彼女の方は、もともと手作り家具を売るお店をもっていて、ビジネスのノウハウを持たれていたようなので、一緒に仕事をしやすかった。彼女は、新たな会社設立とともにホームページの立ち上げをしかける一方、こちらでは、主として取引する生産者の見極めや商品の背景にあるルワンダの歴史的な事実、そして生産者の生活や子供たちの実情に関する情報を調べ提供した。<br />
その後、サンプル商品の日本への輸送を行い、本格的な輸出のための輸送手段の検討、コストなどを割り出した。<br />
<br />
様々な調査、検討ののち、キガリ市で2007年から本格的に始まったAgaseke Promotion Projectの傘下で生産活動をしていてまだ大きな売り先がない16の組合に対象を絞ることにした。このプロジェクトでは、最も困窮状態にある女性たち（十分な教育が受けられなかった、ジェノサイドで夫を亡くした、土地などの資産がないなど）を対象にバスケットの技術を身につけることにより、自律的な生活をするための収入源の創出を目指している。この組合の傘下にいる女性たちは3300人ほどにも及ぶ。実際に定期的に生産をしている人たちは、この１０分の１程度だが、今後日本からの取引が増えることにより、より多くの女性たちに仕事の機会が得られることを狙いとしている。<br />
<br />
その後、サンプルの輸出をしたのが、１２月。その後今年の１月には、日本の新会社Ruise Bとルワンダでパートナーとして組むことになったキガリ市及び生産者組合と今後のビジネス展開に向けた協力関係を確認する覚書を結んだ。<br />
<img src="images/Baskets2-s.jpg" width="300" height="200" alt="MOU exchange" class="pict" /><br />
そして４月には、サンプルの中から選んだバスケットの初の生産注文を行うことになる。一方、日本側では、このビジネス促進のための支援を得るべく、JETROに応募することになった。<br />
]]></content></entry><entry><title>ICT化の波</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1027460" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1027460</id><issued>2009-06-15T00:05:24+09:00</issued><modified>2009-07-02T04:37:14Z</modified><created>2009-06-14T15:05:24Z</created><summary>ルワンダの最近のユニークな光景といえば、東西南北、国の至るところで光ケーブルを敷設していることだ。

もう何か月も前からだけれども、主要道路沿いでの工事が続いている。はじめは、キガリ市内だけで見られていたが次第に、どこでも見られるようになった。


国...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (日常生活）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダの最近のユニークな光景といえば、東西南北、国の至るところで光ケーブルを敷設していることだ。<br />
<img src="images/resize5648.jpg" width="320" height="240" alt="光ケーブル敷設" class="pict" /><br />
もう何か月も前からだけれども、主要道路沿いでの工事が続いている。はじめは、キガリ市内だけで見られていたが次第に、どこでも見られるようになった。<br />
<img src="images/resize5548.jpg" width="320" height="240" alt="光ケーブル敷設に関わる労働者" class="pict" /><br />
<img src="images/resize5652.jpg" width="320" height="240" alt="光ケーブル敷設に関わる労働者２" class="pict" /><br />
国を挙げての試み。これで何を目指しているかだが、政府の目標によれば、キガリ市と30あるディストリクト（市のような位置づけ）<br />
すべてにおいて、高速光ファイバーネットワークを配備する予定になっている。2,300kmにわたる光ケーブルはキガリ市のネットワークの延長上となり、キガリ市にある97の政府組織と学校、病院、税関事務所、移民や国境サービス、派出所、大学、民間組織などを含むディストリクトと226の政府組織にネットワークがつながることになるそうだ。<br />
今年中には、国がブロードバンド普及を加速させ、電子政府、電子商取引、電子ツーリズム、電子教育、電子福祉、電子農業、ビデオ会議、電子市場などをスタートさせたいようだ。<br />
それにしても、キガリ市以外の農村地域や国立公園周辺などでのこうした敷設工事をみているとこの光ケーブルの導入によってどれだけの人々に直接的な恩恵、便益があるのか、なかなか見えてこない。<br />
もちろん、公共施設や政府から変えていくというのはよくわかるのだが、今だ、農村地域は、電気も通っていないところがほとんどだし、テレビもない。パソコンは、農村地域にいたっては、市のオフィスに少々あるぐらいだ。<br />
そうした現状を見ると、この光ケーブルの導入によって描く国の姿やサービスの変化が、あまりにもギャップがありすぎで現実的に思えないのだ。<br />
しかし、ルワンダは、東アフリカのＩＣＴの拠点になろうとしているので、政府もかなり熱心にこの関連のインフラ整備を進めているようだ。<br />
<br />
教育に関しても、「子供１人１台ラップトップパソコン：One Laptop per Child (OLPC)」というイニシアティブのもとにモデル校の小学校で導入が始まった。<br />
もともとは、2005年の１月にMIT（マサチューセッツ工科大学）のメディアラボが　世界の子供たちへの教育の仕方を革新的に変える100ドルラップトップを開発するためのリサーチイニシアティブを立ち上げたことから始まった。現在、非政府組織がこのイニシアティブを推進している。このプロジェクトの目的は、開発国の中でも最も貧しい子供たちにラップトップを提供することだそうだ。ルワンダは、このプロジェクトのモデル国として選ばれた。<br />
<br />
金融関係では、一部の銀行でSMSやインターネットバンキングによる口座内容照会サービスなどが始まっているが、これがいまいち信用ができない。夫も私も経験があるのだが、まったく関係のない他人の口座の残高照会や取引照会がSMSで届いたことがあり驚いた。いったいどんなシステムでそうした間違った情報が送られるのか不思議だったが、口座情報など個人情報に関わるものの送り先を間違えるというのはあまりも根本的な間違いで銀行のシステムの脆弱さ・未熟さを思い知らされたところだ。<br />
<br />
思い描いている高度なＩＣＴ社会へ向けて整備を急ピッチに進めてはいても、その中で生活し、働く人たちの認識のレベルが追いついていないというのが現実のようだ。<br />
こうした認識のギャップを埋めるのに肝心なのは「教育」や「啓発」なのだろうが、国がこれから目指そうとしている社会の姿についてきちんと市民が理解をし、望む方向に向かっていけるよう、政府をはじめ、関連するセクターの人々の努力が求められるところだろう。<br />
]]></content></entry><entry><title>ルワンダにおける結婚事情</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=996933" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=996933</id><issued>2009-05-24T23:25:43+09:00</issued><modified>2009-12-19T16:43:45Z</modified><created>2009-05-24T14:25:43Z</created><summary>ルワンダでよく週末に見かける光景といえば、結婚式。キガリ市内のあるランドアバウトは、その結婚式を挙げたカップルが記念写真を撮るところとして知られている。

ルワンダの結婚について、最近、結婚を迎えようとする同僚や農業技術者などに聞いてみたところある程度...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (日常生活）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ルワンダでよく週末に見かける光景といえば、結婚式。キガリ市内のあるランドアバウトは、その結婚式を挙げたカップルが記念写真を撮るところとして知られている。<br />
<img src="images/P529001.JPG" width="300" height="196" alt="round about wedding" class="pict" /><br />
ルワンダの結婚について、最近、結婚を迎えようとする同僚や農業技術者などに聞いてみたところある程度の情報が得られたのでちょっとまとめてみる。<br />
<br />
結婚は、法律上２１歳以上の男女ができる。<br />
よく見受けられるのが、男性が１０歳以上年上で女性が非常に若いというケース。男性は、30歳以上で結婚するケースが多い。それには、下記に書くように男性が結婚の申込にそれなりのお金を必要とすることが考えられる。<br />
都市部では、少し変化が見られ、教育レベルが高い人たちの間で、若干男女の年の差が少ないケースも見受けられるが、少なくとも５歳程度離れているのが多いようだ。女性の平均出産人数が5-6人ぐらいとあるので女性が若い理由が納得できる。<br />
しかし、男性でも収入が高いわけではないので、基本的には男女とも働くことが前提となる。しかも、女性は、伝統的には、家事をすべて行わなければならないので、日中働くとなると大変重い負担になることになる。<br />
ある程度の収入があると、家事をhouseboyといわれる若者に任せて料理や洗濯をやってもらうケースが多くなる。女性が家事の負担を減らすために人を雇うのではなく、便利な道具が開発され、それを利用して家事負担を減らそうとする日本とは異なった考え方である。どちらかといえば、植民地時代の影響が残っているからなのだろうか。いわゆるお金持ち層になると、子育てから何からすべての家事を他の人の手にまかせ、料理などを自らやることはほとんどなくなるようだ。それってどうなんだろう？と私たちの感覚からすると疑問だが、こちらではそれが普通なのである。<br />
<br />
<br />
通常は、公式？な結婚のプロセスは、以下のようなもの。<br />
１．	紹介・承認（結納のようなもの）<br />
ここでは、結婚を申し込もうとする男性が女性の家庭に赴き、両親や親せきの前で結婚の申込をするとともに両親に送りものをしなければならない。通常は、牛を贈呈するそうだ。ルワンダ産のものだと200,000Frw(&#36;350)ぐらいに相当するそうだが、これを最低１頭分。東州になるとこれを５頭ぐらい贈呈するケースもあるそうだ。最近は、ミルクがよく出る輸入牛、500,000frw(&#36;900)を１頭贈呈して済ます方法が人気となっているらしい。東州は特に牧場持ちが多いからなのだが、ルワンダの所得水準からすると決して安いものではない。<br />
しかし、土地がある家ならまだしもキガリ市など土地のない都市部はどうなるのか？キガリ市内では、この贈呈が合理的な形に変わって行われているようだ。牛１頭贈呈する分を小切手に換えて渡すというが最近の傾向らしい。一方、西州や南州など貧しい地域になると、牛１頭の贈呈は、大変な負担で現実的ではなく貧困層の家庭では、牛ではなく鍬、1500frw(250円)を贈呈して済ますところもあるそうだ。<br />
<br />
２．	結婚式・登録<br />
両親への紹介・申込が済んだあとは、結婚式を迎えるまでの準備に入る。結婚式を迎えるまでは、結婚する予定の男女は一緒には暮らさないというのが通例のようだ。都市部にいるカップルが週末に相手の家に遊びに行ったりするケースも少しずつ出てきているようだが、これは、ルワンダ国外で過ごしてきた人たちのケースかもしれない。<br />
結婚式が済むと結婚した男女は、地元のセクター（町レベルにあたる）に登録をするそうだ。<br />
キリスト教が多いルワンダでは、教会で式を行うケースが圧倒的に多い。しかもその式がとても長いのだ。一度私たちも参加したことがあるが、事前に式が３時間もかかるので、最初から行かない方がいいというアドバイスを受け、途中からいったが、それでも１時間半以上かかった。<br />
<img src="images/544-s.jpg" width="300" height="225" alt="Rwanda wedding1" class="pict" /><br />
賛美歌が本格的で聖歌隊の演出は、素晴らしいなと思ったが、それぞれの儀式が長いのだ。途中、参加者が新郎新婦に金銭を贈呈する。（特定の場所にそれらを置く）という流れがあり、その流れが終わるのにもそれなりの時間がとられる。最後には、参加者同士が握手をして式典を祝い、新郎新婦が会場を出る。新婦と一緒に小さな子どもたちがエンジェル風の白のドレスを着て歩いているのがなんともいえずかわいらしい。<br />
<img src="images/550-s.jpg" width="300" height="225" alt="Rwanda wedding2" class="pict" /><br />
<img src="images/552-s.jpg" width="300" height="225" alt="Rwanda wedding3" class="pict" /><br />
参加者が着てくるルワンダの伝統的なドレス:mishinanaが個性があり美しいものだ。<br />
<img src="images/556-s.jpg" width="250" height="333" alt="Rwanda wedding4" class="pict" /><br />
<img src="images/558-s.jpg" width="300" height="225" alt="Rwanda wedding5" class="pict" /><br />
そして教会で式を挙げた後、宴会の席に移るのは、日本と似ているが、ルワンダ人はお酒を飲まない人が多いので、ファンタやコーラーで乾杯するのが多い。<br />
そして多くのキガリ市内で結婚式を挙げた人がなぜだかランドアバウトの像が立つところで写真を撮るというのが恒例のようだ。土日になるとランドアバウトはたくさんのカップルであふれかえっている。これは、結婚式の一例でかつ都市部での結婚式なので、華やかなものの方だが、農村部での式はもっと簡素なものだ。<br />
<br />
３．	離婚<br />
離婚はもちろんケースとしては少ないが、可能で、この場合には、裁判所に行って、お互いが問題を話し合い、土地などがあれば、分割する。離婚費用として、60,000frw(&#36;100)払わなければならないそうだ。セクターに行って登録も変更しなければならない。<br />
<br />
<br />
私たちのところで雇っている農業技術者から結婚相手の女性を選ぶのにどんな観点が必要かなどとの質問を受けて私たちなりの考え方を示したが、こうした観点というのも国や文化が違うので正しいものでもないし、時代とともに変わっていくものだろう。<br />
ルワンダも、間違いなくグローバル社会の中での西欧的な考え方に影響を受けることだろうし、結婚観や相手に求めるものも変わってくるように感じた。<br />
私たちだって、親の世代と私たちの世代では結婚のスタイルが全く変わってしまったのだから、ルワンダで、結婚のスタイルが変わってくるのも時間の問題という感じがした。<br />
ただ、西洋的な結婚スタイルと全く同じようになってしまうのは残念な気がするので、独自の部分が残っていることを願いたいと思う。<br />
<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>番組取材を通じて出会った人たち：ＤＶＤを持って再訪！</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=1007701" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=1007701</id><issued>2009-05-17T16:22:19+09:00</issued><modified>2009-06-07T10:50:00Z</modified><created>2009-05-17T07:22:19Z</created><summary>昨年の５月からテレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」の現地での取材・コーディネーション請け負うことになり、環境ドキュメンタリー番組の制作のサポートに初めて携わった。様々な取材を経て、２月の末から３月の上旬の約２週間で日本から撮影スタッフが来られ、現地での撮影...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (環境活動）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[昨年の５月からテレビ朝日「素敵な宇宙船地球号」の現地での取材・コーディネーション請け負うことになり、環境ドキュメンタリー番組の制作のサポートに初めて携わった。様々な取材を経て、２月の末から３月の上旬の約２週間で日本から撮影スタッフが来られ、現地での撮影を行った。<br />
<br />
主たるテーマは、「携帯電話のルワンダでの意外な利用法」この中で紹介された１つの仕組みがVillage phone。ヴィレッジフォンとは、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユニス氏の開発したマイクロファイナンスの仕組みを世界に広げるため設立されたグラミン財団とMTNというアフリカの大手電話会社が協力してできたサービス。コミュニケーションの手段がなく、電気も通ってない地域において、簡易型のアンテナの敷設や充電するためのカーバッテリーがセットになって地域の中心となるところに携帯電話を置くステーションを設置し、携帯電話を通常の携帯電話より割安の価格で利用でき、４０％長く話せるサービスを提供する仕組み。<br />
<img src="images/resize2171.jpg" width="240" height="180" alt="Village phone" class="pict" /><br />
<img src="images/resize2303.jpg" width="240" height="320" alt="antenna" class="pict" /><br />
これを運営するオペレータといわれる人たちは、携帯電話をマイクロファイナンス銀行からローン契約をして購入し、6か月間で返金していく。オペレーターになった人たちは、通常小さな雑貨屋さんをやっていることが多く、電話の貸し出しサービスと併用することで売上が向上し、収入増により、彼らの生活の向上につながり、子供を学校へ行かせられるようになったり、保険に入ることができるようになる。<br />
<img src="images/resize2569.jpg" width="320" height="240" alt="womens operator" class="pict" /><br />
<img src="images/resize2155.jpg" width="240" height="180" alt="雑貨屋とvillage phone" class="pict" /><br />
また、Village phoneは、それを利用する人たちにとっても大変にメリットがあるものだ。両親や子供など身近な人に電話をかけるのはもちろんのこと、ビジネス目的の利用（農産物の売り先を探したり、購入したい商品価格の下調べ、顧客への連絡など）や地域での会合の連絡、緊急の連絡（妊婦や病人の緊急の搬送依頼など）にも利用され、コミュニティーのつながりが強化されたとの声も多く聞かれた。<br />
特に町から離れたところに住む人たちは、今まで1日かけて歩いたり、現地まで公共交通機関を利用して要を足していたのが携帯電話の導入により時間とエネルギーを節約し、目覚ましく効率的になったのである。国境に近いところでは、ウガンダなど近隣の国からもわざわざヴィレッジフォンを利用しにくる人がいるぐらいだった。<br />
生まれた頃から電話が家庭に1台あった私たち日本人にとってはピンとこないかもしれないことかもしれないが、こうした電話を利用したことがない人にとっては画期的な変化を地域にもたらしたのである。<br />
<br />
番組では、こうしたヴィレッジフォンの仕組みの紹介とこうして導入されたヴィレッジフォンの利用事例の中で顕著な成功事例を、ラジオ公募をして集めた中から事前に選び、選んだものを実際に訪れて撮影し紹介した。テレビはまだまだ一般家庭には普及していないこともあり、農村地域で使われるビレッジフォンの事例を集めるには、ラジオが一番。実際２日に分けて流したラジオ放送で、非常な反響があった。流したとたんに電話が山ほどかかってきた。多くのルワンダ人がどれだけラジオに頼って情報を得ているかがわかる。ジェノサイドを扇動したのもラジオの影響だったといわれているだけあって、ラジオから得られる情報がどれだけ国民の行動へ影響を与えるかが押し測れる。<br />
こうして公募をするとマイクロファイナンスなどを通じて間接的に紹介してもらうよりはるかに効果的に集められた。中でも感心したのが、この電話をオペレータとしてサービスを提供している孤児の青年が兄弟や一緒に住んでいる孤児を助けるための募金をヴィレッジフォンを使って呼びかけたケース。若い青年ながらも、頼もしいユニークな事例だった。<br />
<img src="images/1photo-s.jpg" width="190" height="300" alt="with Abdu" class="pict" /><br />
またこの携帯を使って、オペレーターがキガリに親戚がいる利用者から頼まれて携帯にairtimeというクレジットを転送することでそれを現金に換えて、利用者に届けるといった送金サービスを展開したケースも興味深いものだった。<br />
<br />
ヴィレッジフォンのようにコミュニティーの公共通信手段やビジネス取引の手段として貧困削減に役立てられるだけでなく、携帯電話が、ゴリラなど国立公園での野生生物の保護にも役立てられている。<br />
<img src="images/resize5507.jpg" width="320" height="240" alt="scenary of national park" class="pict" /><br />
番組では、元密漁者にスポットをあて、どのようにして密漁活動から転向して保護活動に携わるようになったか、携帯電話をパトロールなどの場でどのように保護活動に役立てているのかを明らかにした。<br />
この元密漁者の住むコミュニティーに訪れ、住民に元密漁者のリーダーが住民たちに国立公園の保護活動やゴリラを守る活動の重要性を説明する場面を撮影するとともに、日本で撮影された日本の若者の携帯電話の利用法や携帯電話の廃棄、リサイクル事情についての映像を流して住民に見せた。<br />
とにかくほとんどの住民が携帯電話をもっていないので、日本で起こっていることの全てが違いすぎて驚くことばかり。特に携帯電話が大量に廃棄されている映像などは、いったい何が起こっているのかわからないという感じだった。消費行動が日本とルワンダでどれだけ違うかに改めて気付かされた。<br />
<br />
こうして現地撮影後、編集放送された番組のコピーを放送１か月後に受け取りそのコピーをもって番組に協力してくれた人たちの元へ届けてお礼の挨拶をするとともにＤＶＤを見せて回った。<br />
取材に訪れてから２か月余りたってからの訪問だったが、ほとんどのところでは撮影前から調査をしに来ていたので私をよく覚えていてくれて歓迎された。<br />
<img src="images/resize5528.jpg" width="320" height="240" alt="Visiting Joel's place" class="pict" /><br />
<img src="images/resize2755.jpg" width="240" height="180" alt="with operator" class="pict" /><br />
特にうれしかったのは、元密漁者のコミュニティーに再訪して、撮影に協力してくれた地域の住民も集めて日本で最終的に放送された番組を見せたところ、言葉は現地の人にあまり理解されなかったかもしれないが、時には自分たちの写っている映像をみて、大変喜んでいる様子がうかがえた。上映の調整に夢中になって写真に収めるのを忘れてしまったが。。。<br />
終わった後、上映会の準備を手伝ってくれた人が、こう話してくれた。「今回、初めて撮影されたものを見たけど、本当にうれしかったよ。普通は、撮影されたものを見られることがないから、とられても何のためにとっているのか、どうなったのかってわからないままなんだ。こうして撮影されたものを見れることによって、今後、こうした撮影を行う時に住民に協力を得るいいインセンティブになるよ。」<br />
そうなんだ。私は、撮影された人たちは、当然できた番組をみたいだろうと思って、自ら足を運び協力してくれた人に見せて回ったが、こういうことをするのは例外なのか、、、と感じた。でも訪問したことでみんなが出来たものを確認でき、家族や近所の人などと「あら映っている」などといいながら楽しんでもらえたのは私も見せて回ったかいがあったなと思えた部分である。前述したように今回取材に協力してくれた人たちは、テレビを見たことがない人ばかりなので、こうして映っている映像を見ること自体が新鮮な驚きなのである。<br />
テレビ番組の制作づくりに携わることによって得た人里離れた地域での人々との出会いそして新しい交友関係が続きそうで嬉しい。出会った人たちの今後の発展、成長も追っていきたい。<br />
]]></content></entry><entry><title>Burundi にやってきた!</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=976281" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=976281</id><issued>2009-04-12T20:50:06+09:00</issued><modified>2009-05-10T10:10:18Z</modified><created>2009-04-12T11:50:06Z</created><summary>初めて車で国境を超えた。ルワンダの東南に国境を接する国Burundiを訪れた。行き方は２通りあり、ルワンダ南東部のButareから行くルートと、ルワンダ東部のBugeseraから行くルートがあり、行きは、Bugeseraルートから国境を超えることにした。Kigaliから１時間余りで着く...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (旅行）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[初めて車で国境を超えた。ルワンダの東南に国境を接する国Burundiを訪れた。行き方は２通りあり、ルワンダ南東部のButareから行くルートと、ルワンダ東部のBugeseraから行くルートがあり、行きは、Bugeseraルートから国境を超えることにした。Kigaliから１時間余りで着く国境は、最近リニューアルしたばかりのようで、入国手続きのオフィスの建物がこぎれいだった。<br />
短期滞在の場合は20ドル払えば、国境を越えられる。<br />
手続きに30分弱かかったあと、国境を抜けてさっそくブルンディに入って走る。<br />
<img src="images/resize5322.jpg" width="320" height="240" alt="掘っ立て小屋" class="pict" /><br />
すぐ目に留まったのが、藁ぶき屋根の家。ルワンダではもうほとんど見られない旧式の家がまだまだある。（ルワンダでは、庶民の家は、トタン屋根のところが多い。）<br />
ぱっと見た感じブルンディの方がさらに貧しいのかなという印象を受けた。<br />
<img src="images/resize5343.jpg" width="320" height="240" alt="炭" class="pict" /><br />
途中、炭が袋詰めになったものがかなり道路沿いで売られていた。さらにルワンダでは見たことがない風景としてウサギが道路沿いで売られていること。生きたウサギが何匹も少々高台の小さな小屋に入れられて見世物のように売られている。<br />
ルワンダに近いところは、丘陵地帯が広がり、ルワンダと似たような風景が広がっている。またルワンダとまたがっている国立公園は、太古の森が残っているので、すぐに他と見え分けがつく。<br />
国境を越えてからが長い道のりだった。５時間半近く走っただろうか。bujumburaを示す標識がなかったので、街中の人々に聞きながら、若干道に迷いながら走り続けた。<br />
首都のブジュンブラに近づけば近づくほど非常に暑く、日差しが強くなり日射病気味になった。<br />
<img src="images/resize5307.jpg" width="320" height="240" alt="ブジュンブラ街中" class="pict" /><br />
ブジュンブラの街中は、キガリと比べると新興住宅地が建てられているところ以外はまだ開発はこれからといった感じがする。<br />
<img src="images/resize5488.jpg" width="320" height="240" alt="この木なんの木" class="pict" /><br />
しかし、キガリは、街中に植えられている木がすべて近年植えられたものばかりだが、ブジュンブラは、樹齢の長そうな木々が植民地時代の面影を残した邸宅が並ぶ通りに沿ってところどころ緑豊かに並んでいる。街中のランドアバウトの一つに立っている木は、この木なんの木〜のＣＭに出てくる木にそっくりだ。<br />
キガリと明らかに違うのは、国連機関などの国際協力機関の建物がみなものものしく高い塀に囲まれた中にあって、中がほとんど伺えないことだ。<br />
<img src="images/resize5490.jpg" width="320" height="240" alt="ものものしい囲い１" class="pict" /><br />
<img src="images/resize5491.jpg" width="320" height="240" alt="ものものしい囲い２" class="pict" /><br />
最近まで内戦があったことによるものだろうか、これをみるとかつての治安の悪さが伺える。<br />
<br />
さて、ブジュンブラからタンガニア湖に向かう。初日は、晴れていたので、かなり湖沿いは暑かったが、背後に見えるコンゴの山が湖の風景に奥行きを加えて素晴らしかった。<br />
<img src="images/resize5450.jpg" width="320" height="240" alt="タンガニカ湖１" class="pict" /><br />
特に２日目にブジュンブラの外に出て、パーム農園の抽出現場を視察に行ったあとの帰り、タンガニカ湖にかかる帯のようにかかる雲が景色に躍動感を与え、なんとも言えない美しさだった。<br />
<img src="images/resize5454.jpg" width="320" height="240" alt="タンガニカ湖２" class="pict" /><br />
<img src="images/resize5467.jpg" width="320" height="240" alt="タンガニカ湖３" class="pict" /><br />
<img src="images/resize5478.jpg" width="320" height="240" alt="タンガニカ湖の夜景" class="pict" /><br />
またブジュンブラで期待していたのは魚である。タンガニカ湖からとれる魚は、キブ湖とは違ったものがあり、おいしいと聞いていたからである。<br />
実際２日にわたって、いくつか試してみたが、確かにおいしかった。ムケケの塩焼きが特に楽しめた。<br />
<br />
キガリと特に違う点は、物価の値段が安いこと。キガリの1/2といったところか。ルワンダは、輸送コストがかなりかかること、税金がかなりしっかり徴収されており、これも物価を上げる原因になっているようだが、ブルンジでは、どうもそうでもなさそうだ。<br />
魚だけでなく、野菜や果物の種類もルワンダよりやや多く、新鮮だった。これからさらに治安が改善し、国が安定してくれば、タンガニカ湖を売りにしたツーリズムが期待できそうだ。<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>４月７日：ジェノサイドの傷跡</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mitoyuri.com/?eid=952596" /><id>http://blog.mitoyuri.com/?eid=952596</id><issued>2009-04-07T21:15:39+09:00</issued><modified>2009-04-07T15:43:24Z</modified><created>2009-04-07T12:15:39Z</created><summary>４月７日はジェノサイドの追悼日のためオフィスやお店は休みとなる。この日は全国各地の地域のレベルで式典や集会があり、国民が参加する。
１５年前のこの日、私たちが想像できないような惨事ジェノサイド（大量虐殺）が始まったのである。
あっという間に１年が経って...</summary><author><name>三戸優理 ☆ ミトユリ</name></author><dc:subject>Rwanda (日常生活）</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[４月７日はジェノサイドの追悼日のためオフィスやお店は休みとなる。この日は全国各地の地域のレベルで式典や集会があり、国民が参加する。<br />
１５年前のこの日、私たちが想像できないような惨事ジェノサイド（大量虐殺）が始まったのである。<br />
あっという間に１年が経ってしまったように思うが、またこの日がやってきた。そしてこの日が近づくと家族や親せきを失った人たちは、悲愴感がただよい、このあと１００日あまり続いた恐怖の日々を思い出し、辛い日々がよみがえってくるのだ。１５年たってもこうした日々を忘れることはできない。愛する夫を失った女性、両親を失った子供たち、兄弟、姉妹を殺された人々、この国にはそうした人たちがまだ心に深い傷を負いながら生活をしている。この時期になるとトラウマがよみがえり、病院に駆け込んだりする人も少なからずいるようだ。<br />
１５年たった今もまだ市民裁判、ガチャチャ裁判が各地で継続して行われている。政府が最近発表した統計データによれば、2003年から2008年の間に160人近くの証人、目撃者、残存者が殺されているようだ。<br />
こうしたデータを見ると、加害者と被害者との和解はそう簡単ではないことが見えてくる。両者が一緒の住宅地に住み、新しいコミュニティーをつくろうとする試みもあるが、すべての地域で同じようにできるとは限らない。むしろ、なんらかの共同作業を通じて痛みを分かち合い、少しずつ和解のプロセスに至るケースもあるようだ。<br />
<img src="images/R-basket.jpg" width="167" height="204" alt="Agaseke" class="pict" /><br />
例えば、ルワンダの伝統的なバスケット、アガセチェは、主として女性によって作られているが、1994年のルワンダのジェノサイドの後、女性たちは、異なるグループの人たちと会った時、編み物を通じて女性として彼らの問題について共有したり、話し合ったりしたようだ。ジェノサイドで夫を失ったツチの女性と夫がジェノサイド中に犯した罪のために牢獄に入れられて夫を失ったフツの女性たちは、お互いに多くの共通の問題を抱えていることに気付く。中でも大きかったのは、家庭の大黒柱の男性を失った結果として極度の貧困状態に陥ったことだったそうだ。<br />
こうしてバスケットの編み物が、女性たちが集まるきっかけとなり、双方のグループ出身の女性たちが一緒に働くようになったことから平和と統合を促進する道具として認識され、これが、アガセチェ平和バスケットとも呼ばれるようになっている。<br />
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この日を迎える前日、運転手として雇っている男性が夕方、私のオフィスからの帰りの運転中に翌日どうするかの話をした時に、彼が地元の地域で行われる集会に参加するといったあと、「ジェノサイド、Never Again」といって目に涙を浮かべた表情を見せた。普段、彼は、さわかやで優しい笑顔を浮かべているのだが、彼はジェノサイドの際、このキガリで両親を失っている。いままで見たことがない表情に、隠れた心の傷跡に触れているようで私も大変つらい気持ちになった。<br />
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私たちがこうした心の傷を癒すのは不可能に近いが、少しでも様々なプロジェクトを通じてルワンダの人たちが自信を持ち、心からの笑顔が取り戻せるお手伝いができればと思っている。<br />
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